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2015.3.25の記事

 投稿者:エリサベト  投稿日:2016年12月30日(金)11時33分51秒
  はいどーもー!エリサベトです。

すごい久しぶりに掲示板覗きました。

去年の3月25日のマリア様の日について。

イエス様12月25日が仮に予定日どおりの出生だとすると、3月25日は、まだ妊娠してないなあ、マリア様。「これから妊娠するよん」とガブさんが言ったのなら辻褄が合います。

いや、長男、予定日が12月26日で、私が「ん?」と思って医者行ったの4月25日だったんで。(笑)(笑)(笑)
 
 

追記2

 投稿者:卒園生  投稿日:2016年 5月13日(金)00時41分58秒
  私の、叔母二人が、深川ルーテル教会の発足当時、関係者だったっと、二年前に聞きました。
2人とも、八十代ですが、存命元気です。
 

追記

 投稿者:卒園生  投稿日:2016年 5月13日(金)00時32分24秒
  英語ではなく、×
数学でした、○ 悪しからず。
 

懐かしい

 投稿者:卒園生  投稿日:2016年 5月13日(金)00時30分11秒
  1971年の卒園です。門木先生には、中学三年まで、塾で英語を教わりました。
在園児には、旧舎の二階礼拝堂で、宿泊したり、小学三年生までは、日曜学校に通いました。
年に一度、もようされたバザーにも、毎年、行きましたね。
海の先生、富井先生、特に山脇先生、しっかりと記憶しています。生涯、忘れないでしょう。
素晴らしい方達でした。
私の中での、めぐみ幼稚園は、良い記憶しかないのです。
今後も、末永く繁栄を祈ります。
 

外から来る恵み

 投稿者:ごりら  投稿日:2015年 3月25日(水)18時19分46秒
  いつもの水曜日の夕礼拝では、その直前の日曜日の礼拝の日課からみことばを聞きますが、今日は教会の暦で「主の母マリアの日」、イエスさまの母親となったマリアが天使から受胎の知らせを受けた日として位置づけられておりますので、私たちもそのことを記念して礼拝をいたします。この日は、カトリック教会では、神のお告げの日という風にも呼ばれるそうです。

今日の聖書日課の本をお読みになった方はお分かりかと思いますが、この主の母マリアの日、受胎告知日は、クリスマス、イエスさまのお誕生をお祝いする日である12月25日からちょうど9ヶ月前にあたります。昔ながらに妊娠して十月十日で赤ちゃんは生まれてくるといわれますが、マリアが身ごもっておよそ1ヶ月少し経過したころに天使が彼女のもとを訪れ、彼女が妊娠を告げたことを告げたことを記念する日という位置づけになっております。

また、この日は、かつての春の到来を覚える、つまり、私たちで言う「春分の日」であったということです。ですから、春が来る、その喜びの中で、人々はマリアが救い主イエス様を身ごもったことを記念してお祝いしてきたということになります。辛く苦しい冬が終わり、春が来る。それと同じように、私たちもいろんな苦しいことがありながらも、神さまが救い主をお与えくださる、このことを喜び祝ってきたのです。

さらには、この3月25日は、今私たちが過ごしております、イエスさまの十字架の苦しみを覚える四旬節、あるいは、ご復活をお祝いする復活祭・イースターの季節とも重なります。私たちがイエスさまの救いに思いを馳せる日々を過ごす中で、その救い主を神さまがどのようにこの地上にお送りくださったのかということについても、心に留めるのです。

さて、天使がマリアに救い主を身ごもったことを告げるその出来事は、今日の聖書のみことばに報告されておりますが、それは私たちがたいへんよく知っている出来事です。ある日、突然天使が彼女のもとを訪れて、「おめでとう、恵まれた方」と語りかけて、彼女が身ごもっている事実を伝えます。それに対して、マリアは、身に覚えがないですし、若干12~13歳の年齢でしたから、必死になって天使の告げることを否定します。しかし、天使は、これは「聖霊があなたに降り、いと高き方の(すなわち、神さまの)力があなたを包む」ことによって起こったことであり、「神にできないことは何一つない」と彼女に語りかけて、それが事実であることを告げるのです。そして、マリアは、最終的には、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と答えて、天使が告げる、いえ、天使を通して、神さまが彼女に告げたその出来事を受け入れました。

ここで、私たちが彼女の心境を想像するならば、本当にm彼女は驚き戸惑い困惑したことでしょう。また、決してそこで語られることは信じられない、そして受け入れられないものであったと思います。けれども、彼女は、きっとそうした驚き、戸惑い、困惑、疑い、不安、恐れ・・・いろんな思いを抱えたままでも、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」といって、天使が告げる「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」「神にできないことは何一つない」その言葉に賭けていった、聖書的な言葉を使うならば、わが身を委ねていったのでありましょう。

この受胎告知の出来事で私たちが今日そのマリアの姿勢とともに注目したいのは、「恵み」という言葉です。今日の短い聖書の箇所の中で、二度も語られています。まずは、「おめでとう、恵まれた方」という天使のマリアに対する挨拶において語られ、次に、「恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」と、これもまたマリアに向かって語られています。しかし、このいずれもマリアにとっては、天使がなぜ自分にこの言葉を言うのか、あまりよくわからなかった、そうした状況の中で語られているのです。さらに言うならば、彼女にとって決して受け止めきれない中で語られています。

このことは、神さまの恵みが、いったいどういう性質のものであるのかを、私たちに示しています。それは、神の恵みは、私たち人間が理解できるかどうか、あるいは私たち人間の側で理性において受け止めることができるかどうか、そうしたこととは無関係に、ただただ神さまの側から私たちに向かって一方的に与えられるものであるということです。まさにマリアが救い主を身ごもった出来事、そして、彼女の妊娠と出産を通して救い主がこの世界においでになる出来事は、そうした神さまの一方的な、神さまが主導権を持った、ただただ神さまの行為として、起こった出来事でありました。

その神さまの恵みに対して、私たちは驚き、戸惑い、時に不安になり、恐れを感じます。信じられず疑ってしまうことも少なくありません。けれども、そうであっても、神さまの恵みは、そうした私たちの側の心境や受け止めに先立って、すでに神さまの側から与えられているものである、このことをこの受胎告知の出来事は私たちに教えてくれます。

そうして、私たちはこの先立つ神さまの恵みに対して、天使がマリアに告げたように、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」「神にできないことは何一つない」この事実と真実に導かれる中で、私たちもマリアとともに、「わたしは主のはしためです。(あるいは、主のしもべです。)お言葉どおり、この身になりますように。」と、この恵みを受け入れていく、あるいはこの恵みに自分を賭けていく、わが身を委ねていく、それが、私たちの信仰であり、救いなのです。

今、私たちは四旬節を過ごしています。そして、来週、聖週を迎え、ご復活の祝いも目前に迫ってきています。イエスさまの十字架と復活というこの不思議な出来事も、私たちが自分の頭で考えて理解できるものではありません。理性を持って受け止めるのには、あまりにもスケールの大きな出来事です。けれども、たとえ私たちが理解できなくても、受け止め切れなくても、あるいは確信することができなくても、まず神さまの側で、神さまが主導権をもって、一方的にこの出来事を成し遂げてくださり、私たちに大きな恵みとして、御子の十字架と復活による救いを差し出してくださるのです。

私たちは自分で救いを得ることはできませんでした。自分で自分の罪をゆるすことはできませんでした。でも、神さまの恵みとして、御子を救い主としてこの世に送り、イエスさまの恵みとして十字架の救いを与え、聖霊によって信仰へと招き、復活による永遠の命を与えてくださったのです。これらはすべて神さまが一方的に恵みとして成し遂げてくださったことです。私たちには自分を救うことは不可能でしたが、その不可能を、神さまが可能としてくださった。「神にできないことは何一つない」まさにこのみことばのとおりです。

ですから、私たちは、「わたしは主のはしためです。(あるいは、主のしもべです。)お言葉どおり、この身になりますように。」と、来週の聖週を迎え、またご復活の祝い、イースターを迎えたい、今日主の母マリアの日にそのように願うものです。
 

ha初めまして

 投稿者:nine  投稿日:2014年 4月 7日(月)22時25分55秒
  最近仕事で深川に居ました。このブログを見つけて居たら寄ってみたかったです

。いつでも教会は礼拝出来るのでしょうか。カトリック信徒ですがいいでしょうか

 

今日見ました^^;

 投稿者:ごりらぼくし  投稿日:2012年 8月16日(木)12時22分26秒
  graceさま

今日この掲示板を観ました。気付かずすみませんでした。
ぜひこれからもお時間がありますときにおいでください。
深川でもお待ちしております。

しらい
 

滝川の教会で

 投稿者:grace  投稿日:2012年 7月22日(日)19時51分21秒
  今日 初めて ルーテル教会へ足を運びました。若い頃からキリスト教とは縁があり勉強して教会へも通っていました。ですが ここ 10年ほどはさまざまなことがあり 足が遠のいていました。去年からネットでキリスト教番組をきょうはを超えて聞いています。今日はありがとうございました。深川の教会も訪ねてみたいです。  

感謝!

 投稿者:ごりらぼくしメール  投稿日:2012年 2月22日(水)13時37分3秒
  マミさま 嬉しい書き込みをありがとうございます。これからの信仰生活に、そしてご家族の上に、神さまの祝福を祈ります。主の平和。

http://church.ne.jp/fukagawa/

 

ノースカロライナより

 投稿者:マミ  投稿日:2012年 2月22日(水)03時57分38秒
  こんにちは。昨年に一度アメリカから電話で問い合わせした者です。直接牧師先生とはお話しませんでしたが、そちらのサイトが目にとまり時々見ております。
私の主人がカトリックのバックグラウンドのアメリカ人で、カトリック教会に何度か行ってみましたが、色々な儀式的な事がありすぎよく理解できずにいました。そこでお互い納得いくような教会を探していたところルーテル教会に出会いました。初めてのサービスに行ったすぐ後で主人と「この教会だ」と共感し通い始めて半年すぎました。で、去った土曜日に私と二人の娘達(7歳、3歳)共に洗礼を受けました。ルーテル教のことはまだまだ勉強する事がいっぱいです。もちろんサービスはみな英語なので理解しずらい所もいっぱいです。でもこのサイトと照らし合わせたりしながら家族共々頑張っていきたいと思います。
ではまた何かありましたら宜しくお願いいたします。
 

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