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思わぬ場所で「季語」と会いました!

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月15日(土)07時42分15秒 ai126198112156.60.access-internet.ne.jp
返信・引用
   比々きさん、皆さん、おはようございます。

 先日、意外な場所で「季語」と“出会う”体験をすることができました。とある機会に、子供達の「読書感想画」の作品集を見ていたのですが、ある作品で“夜空に星が輝いている”光景が描かれていました。月のない夜空で、その分だけ星の輝きが印象的でした。

 絵を眺めているうちに……あぁ、これが「星月夜」かと。

 小学校低学年くらいの男の子の作品で、線描は拙いのですが、色塗が細かく丁寧で、一生懸命描いた様子が浮かんできます。冬の日に、ふっと心を温めてくれるような作品でした。

https://stand16.hatenablog.com/entry/

 
 

「取り合わせ」と「二物衝撃」は違う・その2

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月13日(木)20時20分58秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  2018年1月号角川『俳句』、堀切実さんの特別寄稿『「取合せ」て「とりはやす」という手法(後編)』、さっそく読みました。
副題が「芭蕉から田中裕明へ」ということで、後編は主に田中裕明の句の分析。

前編では「取り合わせ」がいくつかの型に分類されているのですが、それに沿って裕明句をそれぞれの型ごとに分けて整理、田中裕明の「取り合わせ」の他に類を見ない独特な手法に迫ろうということのようです。

以下は本文の趣旨の私なりの要約です。

子規:「写生」によって「配合」し、それを「客観描写」するように、と主張。

虚子:「写生」+「客観描写」→「花鳥諷詠」「客観写生」を主張。

碧梧桐:「配合」と「写生」を結び付け、「取合せ」こそが俳句の本質、と主張。

誓子:「写生構成」を主張。「写生」=現実の尊重、「構成」=世界の創造。「写生構成」=現実に即きつつ、作品構成において現実を離れた、"詩"の世界を創造すること。目に見える「形象」の背後に、目に見えない「情緒」を隠し、象徴的に表現する。

 ピストルがプールの硬き面(も)にひびき
 鵙は尾をくるりくるりと吾が首途(かどで)
 火の揺れに顔のはためく薪能
 瞬間に湾曲の鉄寒曝し

「写生構成」の手法:視覚、聴覚、触覚などのイメージの働きによって心の内を表現する。

湘子:「二物衝撃」論(『俳句作法入門』角川選書)「飛躍」「意外性」「新鮮味」「鮮やかさ」を重視。西脇順三郎(「無関係なものの中の関係の発見」)、アンドレ・ブルトンのシュールレアリズム、その先駆者の詩人ピエール・ルヴェルディから影響を受ける。

 「イメージは精神の純粋な創造物である。/それは比較することからは生まれず、多かれ少なかれ離れた二つの実在を接近させることから生まれる。/近づけられた二つの実在の関係がかけ離れ、適切であればあるほど、そのイメージはいっそう強烈になり――いっそう感動と詩的現実性をおびるだろう。」(P・ルヴェルディ)

「二物衝撃」の例句
 昆虫の賑わう幹や巴里祭 小林成絃
 夜の弓ならふ白露の山塊よ 飯島晴子
 夏帯をしめ濁流をおもひをり 〃
 落し水朝から琴を教へにゆく 〃
 万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり 奥坂まや

「取合せが表面に出ていない取合せ」の句
:≠一物仕立て。見かけは一句一章の一元的構成だが、明らかに発想に取合せの意識が働いている句。許六の「掛合セヲ見セズシテ、一物ノ上ニ作リタル句」。

 行く春を近江の人と惜しみける 芭蕉(初稿は「行く春や」)
 在明となれば度々しぐれかな 許六

※以下、私自身が自分なりに理解したことを書いてみますね。

田中裕明句の特徴:取り合わせた二物の間の「関係性」「つながり」を予定調和から遠く逸らし、読者の予想を裏切る「飛躍」によって「たまたま」感を出し、「つながり」を希薄なよそよそしいもの、曖昧なものにすることで、読者の自由な想像の発露、多様な読みを促す。
二物の「関係性」や「因果関係」を見いだそうとしても、「これだ!」という定説には至り切れず、最後まで「謎」「不思議さ」が残るような仕組みになっている。

以下、裕明句の分類の中で「曲輪の内」「曲輪の外」という許六創案の言葉が出てくるのですが、

「曲輪」=遊郭のように、周囲をかこった一つの世界

「曲輪の内」:「題材の中」・題材から連想される範囲内のもの。

「曲輪の外」:「題材の外」・題材から連想される範囲を超えた、範囲外のもの。
       意外性のある配合。思いがけぬ新しい結合。

「とりはやし」:「取合せ」の発想、配合に、作者の創造力が主体的に関わって、「取り合わされた二物の統合・つながりが、読者にも解るようにする」こと。

ということで、分類は以下のように。

A 曲輪の内の取合せ
(1)「とりはやし」の詞のあるもの

 夕東風につれだちてくる佛師達
 野をゆけど野に親しまず冬の川
 穴惑ばらの刺繍を身につけて
 鮎落ちてくるぶしは風過ぎにけり

(2)「とりはやし」の詞のないもの

 ノーリツ号といふ自転車や盆の風
 ぼうふらやつくづく我の人嫌ひ

B 曲輪の外の取合せ
(1)「とりはやし」の詞のあるもの

 木蓮は開ききつたり犬を抱く
 天道蟲宵の電車の明るくて
 郵便夫最後の手紙竹落葉
 杖つかみ桂信子やほととぎす
 寒卵しづかに雲と雲はなれ
 万年筆時雨に冷えてありにけり
 病みしゆゑ波郷なつかし龍の玉
 紫雲英草まるく敷きつめ子が二人
 葡萄いろの空とおもひし貝割菜
 更衣よき木よき葉をひろげけり
 目のなかに芒原あり森賀まり

(2)「とりはやし」の詞のないもの

 かき氷食ひ桔梗の花を見る
 生涯は文字を書くこと秋の蝉
 末枯やカレー南蛮鴨南蛮
 八十八夜包帯の手の重きかな
 木枯やいつも前かがみのサルトル
 読むときは妻なきに似て法師蝉
 風呂敷につつむ額縁鳥の恋
 もの言はぬ旅のつれよし蝉の殻
 一生の手紙の嵩や秋つばめ
 冬菜畑同じ本読む姉妹
 詩の神のやはらかな指秋の水
 紫苑咲く子は真直ぐに寝ねられず
 球場を出てくる春のホルンかな
 草かげろふ口髭たかきデスマスク

C 二物衝撃の手法

 よき友はものくるる友草紅葉
 更衣一神教に遠けれど

裕明句の特徴
・「取合せ」句のほとんどが「曲輪の外」の発想によるもの。
・その主流が「とりはやし」の詞を介さない自然な「とりはやし」によるもの。
・取合せる二物の間の断絶の深さをしめす「余白」の効用。(四ツ谷龍)
・二物を結び付ける不思議な「媒介性」。(関悦史)
・二物の間によこたわる境界線が溶解してゆくような不思議な感覚。(田中亜美)

、とこんな感じでした。

これを読んで私が感じたことは、人の生き方の違いが句姿になっているのでは、ということ。

・何もかも自分が自分の人生の主導権を握り、レストランでは自分の食べたいものをオーダー、主体的、能動的に人生を設計、計画し、その設計図通りに人生を創造していこうという、「とりはやし」が全面に出た生き方。

・「とりはやし」を手放し、レストランではシェフお任せコース、人生を偶然の出会いや成り行きなどの「不確定要素」に委ね、臨機応変、即興、出たとこ勝負、インプロヴィゼイション、「どうなるかわからない」その「わからなさ」を人生の「妙味」として楽しむ生き方。

その時には「なぜこんなことが私の身に」と思うことも、人生の終盤になって振り返ると「あの時のあれがあったから、今の自分がいる」と、感謝をもって受け容れることができる、、、

「ことA」と「ことB」の間のつながりが見えなかったものが、年経て自然な「とりはやし」として「つながり」が見えてくる、、、

そんな感じなんじゃないかな、と思いました。

皆さんはどんな感想を持たれたでしょうか?




 
 

「取り合わせ」と「二物衝撃」は違う

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月12日(水)13時06分40秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  角川『俳句』2017年12月号特集「必ず成功する!「取り合わせ」」を読んでいたら、堀切実さんのとても興味深い記事が載っていました。

芭蕉の言う「取り合わせ」と、現代俳句の「二物衝撃」は「ちがう」というのです。

私は「二物衝撃」は「取り合わせ」の別名のように捉えていたので、ビックリ!

片山由美子さんも同じことをおっしゃっていて、両者の「ちがい」は、芭蕉の言う「とりはやし」(統合)が有るか無いか。

「とりはやし」とは、取り合わせたもの同士が「底の方でつながっている」、つまり「見かけはちがう」けれど、ある面では「つながっている、共通点がある」、それをちゃんと踏まえた上で、意図的に「取り合わせる」、いってみれば「頭脳プレイ」のこと。

なので芭蕉の言う「取り合わせ」は、「違いと同じが同居している」形。

いっぽう「二物衝撃」は、取り合わせた「二物」の間にそのような「共通点」が無く、二物の配合によって生まれる「衝撃力」、その効果だけを狙ったもの。

なので「二物衝撃」は「ちがい」だけ、言ってみれば「異質なものの組み合わせが生む【妙】」だけを「感覚的」に追求するもの。

、なのだそう。

これを堀切さんは、人間の脳のニューロンの情報伝達の2つの方法に擬えています。

情報伝達神経ニューロンの両端にはシナプスがあり、シナプスAとシナプスBの間には「すきま」があるのですが、この「すきま」の「渡り方」に2種類あるというのです。

要するに、向う岸へ渡る方法に「舟、または水着に着替えて泳いで渡る」か「エイヤッと跳び越える」か、の2種類がある。

前者は、ニューロンを伝わってきた電気信号をシナプスで化学物質に置き換え、「ワンクッション」置いて渡る方法。

後者は、ニューロンを伝わってきた電気信号をシナプスを介さずに、そのまま「ダイレクト」に電気信号で伝えて渡る方法(電気シナプスによるギャップジャンクション)。

前者が、いわゆる「取り合わせ」で、後者が「二物衝撃」法。

「取り合わせ」のコツは、「大・小」「遠・近」「動・静」「雅・俗」「光・影」「明・暗」「異なる色彩」「今・昔」「単・複」「男・女」「老・若」「和・洋」「実景・心象」などの「互いに引き立て合い、かつ響き合う」、「対照的な二物を一句に同時存在させる」こと。

しかし「二物衝撃」法は、この限りではない。
とにかく「新鮮な衝撃を与える」ことに主眼を置く。

「取り合わせ」は「頭脳プレイ」だけれど、「二物衝撃」法は「直感勝負」。

「取り合わせ」は、作者と読者を「理(考え方、主義主張、価値観、体験、経歴などが似ている)」でつなぎ、「二物衝撃」は、作者と読者を「感性・勘(好き、嫌い、趣味嗜好、何をカッコイイと思うか、など)」でつなぐ感じなのかな?

「取り合わせ」は、外国で日本の通学用ランドセルがリュック代わりに使うのが流行ってたり、アフリカあたりで牛か何かの胃袋が水を入れる水筒代わりになっていたりする感じ。
奇抜で、違和感はあるけど、どこかに必ず「共通項」がある。

「二物衝撃」は、ファッションとして、ぬいぐるみをリュックのように背負ったり、「関連性がまったく見えてこない」ものの、「なんとなくいい感じ!」「きまってる!」「新しいものを見た!」という感じなのかな。

この記事は「取り合わせ」の概念を変える、私にとって結構衝撃的な記事でした。

今年の1月号にも続編が載っているみたいなので、また読んだらご報告しますね。

 

Re: 嬉しい報告がもう一つ……

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月11日(火)23時26分20秒 ai126165036045.73.access-internet.ne.jp
返信・引用
  > No.4923[元記事へ]

 比々きさんへ。

>
> う~ん、これだと「主語」が「祖母と叔母」になり、彼女たちが「長屋」を「駅」に改装したかのように読めてしまいます。
>

 あちゃぁ(苦笑)。いつも思うのですが、初期の頃(といってもまだ三ヶ月前ですが)の自分の句を推敲することの、難しいコト難しいコト。確かに自分の作品のハズなのに、「ナンデお前はこんな句を作ったんだ?」と毒づいてしまうこともしばしばです。

 それを思えば、なお夏井先生の凄さが分かります。他人の句をああも鮮やかに添削する、しかも作者本人の思いをより生かす形で作り直してしまう。あれこそ“プロの技”だと感嘆するほかありません。


>>「三炬」って「なに?」、4人家族に炬燵3つは無いでしょ、とひっかかるところはあるにせよ、組長はきっと南風の記憶さんのユニークな発想に、将来性、可能性を感じたのかもしれませんね。

 兼題「炬燵」の結果発表の際、私がすぐに「あーあ全没かぁ」と受け入れてしまったのは、私自身が自分の句に自信を持てていなかったということもあります(汗)。

 しかし、私が「失敗」だと思っていた句の中に、夏井先生が何らかの可能性を見出して下さったのなら、本当に有難いことですし、先生の眼力がホンモノだったと証明する為にも、精進を続けていこうと強く誓いました。

https://stand16.hatenablog.com/entry/

 

もう一度楽しむプレバト俳句

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月10日(月)23時57分58秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用
  毎回のプレバト俳句がダイジェストになっています。

復習するにはもってこい!

https://www.mbs.jp/mbs-column/p-battle/archive/2018/12/10/015148.shtml

 

Re: 嬉しい報告がもう一つ……

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月10日(月)21時20分39秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4922[元記事へ]

>  遅ればせながら、広島テレビ「俳句道場」の大賞受賞・おめでとうございます。「二日目のおでん」という表現にリアリティを感じます。我が家でも、この時期は連夜におでんが食卓に並ぶことが珍しくないので、強く共感しました。また「聖書」との取り合わせも意外性があり、素直に面白いと感じました。


ありがとう!
やっぱり、どうせ詠むなら、従来のイメージを前例踏襲した無難な句ではなく、チャレンジングな句、おでんの和風なイメージを一新するような句を、と思い聖書と取り合わせてみました。


>  この”炬燵3つ”というのは、ワケがありまして……。実はこの光景、私の祖父母宅での話なのです。かなり古い家屋で、いわゆる”長屋”に似た造りになっており、祖父母だけでなく、出戻りの叔母(母の妹です)、曾祖母と三世代の人間が暮らしており、それぞれの間取りで生活を送っていました。
>
>  洗濯機や冷蔵庫は共同でしたか、冷房や炬燵は各世代一つずつ。曾祖母は一人で一台の炬燵を持っていたのです。それで「炬燵は三台」あったのですね。
>
>  私は弟と二人で、曾祖母や祖父母、叔母へそれぞれ挨拶へ行くのですが、どこへ行っても炬燵へ入れてくれました。まるで、電車が各駅停車するかのように(笑)。そんな幼い頃の私と弟の様子を、『二児の各駅停車は炬燵三炬』と詠んだのです。
>
> ……エエ、問題点は大体分かっていると思います。上記の内容で詠みたいのなら、きちんと「長屋」と書くべきでしたね。例えば、次のように直してみます。
>
> (推敲例)祖母と叔母長屋を駅と化し炬燵


う~ん、これだと「主語」が「祖母と叔母」になり、彼女たちが「長屋」を「駅」に改装したかのように読めてしまいます。

たぶん、上記の景は「特殊な景」過ぎて、もし詠むなら「曾祖母、祖父母、叔母の住む長屋各部屋に炬燵ありて」とか「前書き」が要るケースなんじゃないかな。
もしくは、情報量が17音で詠むには多すぎるので、1句で無理に詠もうとせず、2句か3句ぐらいに分けて詠む。

一般の読者で、同じようなシチュエーションを共通体験している人はほとんどいないと思うので、この17音だけで「想像」してくれ、と言われても南風の記憶さんの意図通りに「想像」するのは、ちょっと厳しいかも、です。


>  以前、愛媛新聞の「青嵐俳壇」に投稿したと書いていたのですが……「12月7日」の発表にて、一句入選を果たすことができました。


おー、おめでとう!!!
嬉しいことがたてつづけ!
よかったね~!


>  この句は何と、あの兼題「色鳥」の句を、比々きさんとのレス交換を通じて少しずつ推敲した、私にとってはターニングポイントとなった句です。 ですから、この入選は、本当に比々きさんのお力添えがなければ果たせなかったといっても過言ではありません。本当にありがとうございました!
>
> 入選句「色鳥や暗記カードを綴る午後」
>
> https://www.za-chelin.jp/article/news201812100002
>
>  私が初めて詠んだ、俳句らしい俳句(?)「色鳥やイソップの本選ぶ午後」と同じ構成で、場面を少しだけ変えました。大賞の比々きさんには及びませんが、私もささやかながら、ここまで取り組んできた成果が現れてきて、ますます作句の励みとなります。


こんなに早く成果が出るなんて!
私もすご~く、うれしいです!
私も今日図書館に行って月刊『世界』の最新号の岩波俳壇(池田澄子選)を見たら、佳作入選してました!
お互いこれを励みに、これからもますます精進していきましょうね!

 

嬉しい報告がもう一つ……

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月10日(月)19時44分20秒 36.3.108.104.ap.gmobb-fix.jp
返信・引用
  > No.4921[元記事へ]

 比々きさんへ。

 遅ればせながら、広島テレビ「俳句道場」の大賞受賞・おめでとうございます。「二日目のおでん」という表現にリアリティを感じます。我が家でも、この時期は連夜におでんが食卓に並ぶことが珍しくないので、強く共感しました。また「聖書」との取り合わせも意外性があり、素直に面白いと感じました。

> 「三炬」って「なに?」、4人家族に炬燵3つは無いでしょ、とひっかかるところはあるにせよ、組長はきっと南風の記憶さんのユニークな発想に、将来性、可能性を感じたのかもしれませんね。
>
 この”炬燵3つ”というのは、ワケがありまして……。実はこの光景、私の祖父母宅での話なのです。かなり古い家屋で、いわゆる”長屋”に似た造りになっており、祖父母だけでなく、出戻りの叔母(母の妹です)、曾祖母と三世代の人間が暮らしており、それぞれの間取りで生活を送っていました。

 洗濯機や冷蔵庫は共同でしたか、冷房や炬燵は各世代一つずつ。曾祖母は一人で一台の炬燵を持っていたのです。それで「炬燵は三台」あったのですね。

 私は弟と二人で、曾祖母や祖父母、叔母へそれぞれ挨拶へ行くのですが、どこへ行っても炬燵へ入れてくれました。まるで、電車が各駅停車するかのように(笑)。そんな幼い頃の私と弟の様子を、『二児の各駅停車は炬燵三炬』と詠んだのです。

……エエ、問題点は大体分かっていると思います。上記の内容で詠みたいのなら、きちんと「長屋」と書くべきでしたね。例えば、次のように直してみます。

(推敲例)祖母と叔母長屋を駅と化し炬燵

 ただ……表現のオリジナリティを認められての「並」選だとしたら、下手にいじらないで、このまま味わう方が良いかもしれませんね(笑)。言葉足らず、リアリティを欠き、リズムも悪い……とナイナイ尽くしの句なのですが、「あの頃のオレは素人なりに頑張ったんだなぁ」と、少しは自分を褒めてあげてもいいのカナと思います(笑)。


 さて。もう一つ、嬉しい報告があります。

 以前、愛媛新聞の「青嵐俳壇」に投稿したと書いていたのですが……「12月7日」の発表にて、一句入選を果たすことができました。

 この句は何と、あの兼題「色鳥」の句を、比々きさんとのレス交換を通じて少しずつ推敲した、私にとってはターニングポイントとなった句です。 ですから、この入選は、本当に比々きさんのお力添えがなければ果たせなかったといっても過言ではありません。本当にありがとうございました!

入選句「色鳥や暗記カードを綴る午後」

https://www.za-chelin.jp/article/news201812100002

 私が初めて詠んだ、俳句らしい俳句(?)「色鳥やイソップの本選ぶ午後」と同じ構成で、場面を少しだけ変えました。大賞の比々きさんには及びませんが、私もささやかながら、ここまで取り組んできた成果が現れてきて、ますます作句の励みとなります。

https://stand16.hatenablog.com/

 

Re: 見落としていたようです……

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 9日(日)22時50分35秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用
  > No.4920[元記事へ]

>  比々きさんへ。一つ謝らないといけないことがあります。私……前回の兼題「炬燵」は、全没だと報告していました。ところが、先ほど「詠み人知らず」さんから私のブログへコメントがあり、次の句が「並」選入りしていたことを見落としていたようです。
>
> 「並」選句「二児の各駅停車は炬燵三炬(さんきょ)」


わ~い、よかったね~!
ということは、3連続入選、すご~い!
「三炬」って「なに?」、4人家族に炬燵3つは無いでしょ、とひっかかるところはあるにせよ、組長はきっと南風の記憶さんのユニークな発想に、将来性、可能性を感じたのかもしれませんね。


>  全没という結果を元にブログ記事も書いておりましたので、書き直さないといけなくなりました(汗)。書き直しの記事ができましたら、またお知らせします。
>  それにしても……まさかこの句が、「並」選入りしていたとは(苦笑)。この句も、むやみに人物を登場させたがる、初期の頃の私の悪癖が出ている、感触で言うと「失敗句」ではあります。「炬燵」という季語の性質も、ほとんど生かせていませんし。
>  ただ読み返してみると、上五の「二児」と下五の「炬燵三炬」という数詞の対比、炬燵を「各駅停車」と比喩した表現に、オリジナリティがあると判定されたのかなとは思います。


発想自体は類想を一歩も二歩も抜けてるので、きっとプレバトでいう「将来性のある凡人」査定だと思いますよ。


>  いずれにしても、このままだと各方面に失礼(?)ですので、早晩修正記事をアップすることにします。お騒がせ致しました。


うれしい修正。
どんな記事になるのか、楽しみにしていますね!

 
 

見落としていたようです……

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月 9日(日)20時53分46秒 ai126149116200.54.access-internet.ne.jp
返信・引用
   皆さん、こんばんは。

 比々きさんへ。一つ謝らないといけないことがあります。私……前回の兼題「炬燵」は、全没だと報告していました。ところが、先ほど「詠み人知らず」さんから私のブログへコメントがあり、次の句が「並」選入りしていたことを見落としていたようです。

「並」選句「二児の各駅停車は炬燵三炬(さんきょ)」

 全没という結果を元にブログ記事も書いておりましたので、書き直さないといけなくなりました(汗)。書き直しの記事ができましたら、またお知らせします。

 それにしても……まさかこの句が、「並」選入りしていたとは(苦笑)。この句も、むやみに人物を登場させたがる、初期の頃の私の悪癖が出ている、感触で言うと「失敗句」ではあります。「炬燵」という季語の性質も、ほとんど生かせていませんし。

 ただ読み返してみると、上五の「二児」と下五の「炬燵三炬」という数詞の対比、炬燵を「各駅停車」と比喩した表現に、オリジナリティがあると判定されたのかなとは思います。

 いずれにしても、このままだと各方面に失礼(?)ですので、早晩修正記事をアップすることにします。お騒がせ致しました。

 

https://stand16.hatenablog.com/entry/

 

「季語がうごく」とは

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 9日(日)16時39分46秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用
  調べものしていて、偶々見つけた記事。

「取り合わせ」たものが「響き合う」関係、それを見つけるヒントが!

「季語がうごく」とは
http://textview.jp/post/culture/15722


 

Re: ブログ更新しました。

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 9日(日)13時10分1秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用
  > No.4917[元記事へ]

>  比々きさん、昨日はありがとうございました。昨晩ブログを更新しましたので、お知らせ致します。以下のURLです。
> https://stand16.hatenablog.com/entry/2018/12/08/195135
> https://stand16.hatenablog.com/entry/2018/12/09/022245
>  しかし……今回のブログ記事、少々暴走しすぎたかもしれません。是非、広い心で読んでいただくことを、お願いします(汗)。


いやあ、おもしろかったあ~!
裏プレバト、どんどん暴走しちゃってくださ~い。
こっちのほうが俳句より余程「リアリティ」があるのが、なんともおかしくて、「くっくっくっ」でした(笑)
他人じゃなくて、自分を主役に据えると、リアリティがごく自然に出るのが、わかりすぎるくらいわかる、これがまたおかしい(笑)
もしかしたら、南風の記憶さんて、俳句よりコント台本の才能の方があるかも~なんて読んでて思いました(笑)
ちなみに「炬燵」の回の「没」=「凡人(並)に達していない」、ということなので、本人評価「凡人45点」「凡人40点」は「才能なし45点」「才能なし40点」の勘違いかも。
南風の記憶さんのブログをより面白くするために、不肖私めもネタ提供、今後とも鋭意専心ご協力させていただきまっす(笑)



 

ブログ更新しました。

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月 9日(日)11時56分46秒 ai126183056043.57.access-internet.ne.jp
返信・引用
   皆さん、こんにちは。

 比々きさん、昨日はありがとうございました。昨晩ブログを更新しましたので、お知らせ致します。以下のURLです。

https://stand16.hatenablog.com/entry/2018/12/08/195135
https://stand16.hatenablog.com/entry/2018/12/09/022245

 今回、たった二つしか投句しなかったにも関わらず、ツッコミ所が多すぎで(笑)、文量が多くなり2記事にまたがってしまいました。なお、文章作成には、比々きさんのアドバイスを参考にさせていただいています(教えていただいたということも、文中に明記しています)。ただし推敲句については、比々きさんの添削をそのまま載せるのはさすがに気が引けましたので、下五だけ自分で考え直したものを書きました。

 さて、比々きさんの添削「重ね着や“色相環の赤と青”」を詠ませていただき、思わず「うわぁ……」と呟いてしまいました。と言いますのも、実は私も「色相環」という語を使おうかどうか、考えるところまではいっていたのです(苦笑)。ただ分かりにくいかなと思い、「補色対比」を選んだのですが……やはり“説明しすぎ”の感が否めませんね。モッタイナイことをしました。

 ところで。中断しておりました「季重なり句」についてですが、季語の強弱を付けるということをテクニックがどのように使われているか、比々きさんの紹介句を読ませていただきました。

 春の峡霧へ花火を打ちてし止まん 金子兜太
 春は曙花火打ち揚ぐ三河人 金子兜太
 昼からの花火湖畔の秋祭 高浜年尾

 3句に共通しているのは、季語「花火」よりももっと強い季語「春」「春は曙」「秋祭」をいずれも使っているということ。
 あるいは、確か以前「プレバト!!」で見た気がするのですが……「季語+の+〇〇」という形を使い、季語の力を弱めるという方法もあるようですね。

 もう少し俳句のキャリアを積んでテクニックを身に付けられたら、思い切って「季重なり句」を詠んで俳句ポストその他へ投句してみようと思います!

 しかし……今回のブログ記事、少々暴走しすぎたかもしれません。是非、広い心で読んでいただくことを、お願いします(汗)。

https://stand16.hatenablog.com/entry/

 

写生が詩になるとき

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 8日(土)18時59分16秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  大岡信さんと川崎展宏さんの対談本『俳句の世界』(富士見書房)を読んでいたら、こんな記述がありました。

154、155p
「大岡 (前略)橋本鶏二の「写生」は、「いま落ちし氷柱が海に透けてをり」は写生そのものなんだけど、それが同時に、これが詩だっていうところがある。詩ってこういうもんだよと、何も言わなくても分かる。それは写生が詩に通じるということの窮極的なあり方を示していることだと思うんですね。
 決してご大層なことを詠むんじゃなくて、何か物が別の物に触れ合ってる、その姿を描くだけで、つまり氷柱が海の波と触れ合っているところを描くだけで、何だかすごい詩になっている。「透けてをり」という言葉がいいんだけどね。方法論としていえば、物と物が触れ合ってる、その状態にこちらから心が行ってもう一つ触れていくという、その三者の触れ合いで詩というものが出来上がっているわけだ。(後略)」


A(氷柱)+B(海)+C(「透けてをり」を発見した心)=詩

、こんな感じなのかな?

そういえば、俳ポの「胡桃」の天、「リスの割る胡桃のなんときれいなこと」も同じ構造。

A(リス)+B(胡桃)+C(「なんときれいに割ること」を発見した心)=詩




 

クオカード届きました!

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 8日(土)16時03分28秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  広島テレビの「俳句道場」でしばらく低迷していたのですが、「おでん」で2回目の大賞をいただきました。

http://www.htv.jp/tv-ha/haiku/index.html

大賞へはご褒美として三千円のクオカードが送られるのですが、それがつい先ほど届きました。
その中にお手紙も入っていて、選者の谷村秀格さんの講評を改めて読んでいたら、初心者向けのアドヴァイスとして、「これは大事かも」というのが書いてあったので、抜粋して載せておきますね。

「俳句初心者の多くは「短い中で言いたい事をどう伝えるか」にとらわれ、それが強引な省略や舌足らずな表現、オノマトペや直喩(~のような)の多用、破調・上五の字余り、「~よ~よ」という心情吐露や演説調などにつながってしまうのであるが、そういう方にはこのような句が大変参考になろう。
つまり、無理に伝えようとせず、「短さ」を逆手にとって、「モノとモノとの関係性」に何かを感じたら、ただそのままさっと放り出してみればいいのである。
すると後は、読者の楽しい時間となる。
俳句とはそういう世界でもあるのである。」


以前私も「俳句には、サービス精神が必要」と書いたことがありますが、「読者」に「楽しい時間」を提供する、ここに私も大いに共鳴しました。

先の組長ブログの「ポラーノの広場」のなかでも、「もっと学びたい、もっと知りたいという強い意欲を持つ人たちが、広場の中心へ中心へと進み始め、その切磋琢磨によって育てられた広場俳人たちは、私たち読者の血を綺麗に浄化するほどの作品を見せてくれるまでになりました。実に嬉しいことです。心躍ることです。」と書いてあります。

単に自己満足や自己顕示のために作るのではなく、結果的に、他者に喜びを与えるような作品を目指す、、、
聖書の中にも、「どんなに優れた能力を持っていても、愛が無ければすべて空しい」(コリント第一の手紙13章)とあります。

私はクリスチャンではありませんが、心や隠れたところを見ておられる神様のような存在は絶対いる、と体験から信じているので、こういうスタンスは失いたくない、といつも思っています。

ここのサイトは選者のアドヴァイスがどこよりも丁寧。
はっきり指摘するので、グサッと来るときもありますが、勉強になります。
良かったら参考にしてみてください。



 

Re: 辛うじて……

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 8日(土)14時19分39秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4913[元記事へ]

>  正直に申し上げます(汗)。重ね着の袖を見て、「あか、あお……」と色の名前を唱えていたのは、少年時代の私自身なのです(笑)。図工の教科書か何かで、明るい色と暗い色を載せて比べている……後から調べると“補色”というそうですが、重ね着を見る度に、それが“補色”の図と似ている気がして、重ね着の色を比べていたものです。
>
>  ですから、「吾子」と書いて子供の微笑ましい様子を描いたのは完全な創作――比々きさんのおっしゃるように「作り物」で、本当は“私自身の体験”だったのですよ。


どうりで、リアリティに欠けるはずだ(笑)


> ……ええ、ヘンな子供です(汗)。そして、「プレバト!!」でこういうふうに言えば、次に夏井先生から何て言われるかも分かります――『だったらそう書けよ!』ですよね(苦笑)


俳句の世界は「ヘンな子供」大歓迎!
俳人は、言っておきますが、変人率異常に高いです!
なのでオトナになっても、「ヘン」を手放してはいけません!(厳命・笑)


>  子供の微笑ましい様子ではなく、重ね着を補色の図に見立てていた少年時代の自分自身の体験として描いた方が、句の出来不出来は別として、よりリアリティが出るのかなと。
>
>  こう考えた時に……イラナイのは「吾子」(子供)だなと。
>
>  辛うじて「並」選となったものの、これも私の典型的な失敗パターンです。「炬燵」の時もそうでしたが、不要な人物を登場させてしまい、主役となる「季語」の存在をぼやけさせてしまう悪癖があるようです。考えてみれば、「人」選となった「キャンバスに香も描かんと胡桃割る」の句は、“人物”の表記はしていなかったので。


おー、よくぞ気付かれた(笑)
次回からは同じ轍を踏まないこと。
「二度あることは三度ある」ということわざが、「やっぱり」、にならないことを祈っております(笑)


>  というわけで。「並」選句については、あれはあれでヨシ(?)として、同じ材料でもう一句作ることとします。
>
> (例)重ね着や補色対比の図に見立て


「や」で切った場合、プレバトでもよく言われることですが、「ここでカットが切り替わる」わけです。

俳句は「読者の想像力を、より深く、より広く掻き立てるためのトリガー」みたいなものなので、中七下五はできるだけ「重ね着」の連想から離れ、「簡単につながりが見えない」方が、読者の想像力は「より」掻き立てられます。

「わかり過ぎる」と「わからな過ぎる」の中間をねらう感じ。

「補色対比の図に見立て」だと、せっかく「や」で切って「場面転換」したはずなのに、「重ね着」の「説明」になってしまっていて、ちっとも「場面転換」していない。
「や」を使った意味がない、もったいない構図になってしまっています。

それと「補色」には元々「対比」という意味合いが含まれているので、「対比」の3字は不要。

例えば、「重ね着や色相環の赤と青」とすると、読者は「この作者は重ね着をする時、色の対比とか考えて着るんだな。もしかしたら絵に興味のある、色彩感覚に敏感な人かもしれない」という風に「想像」してもらえます。


>  閑話休題。金曜日の「天」「地」選の発表時……いつもそうなのですが、落選だと分かっているのに、ついついサイトを覗いてしまいました(笑)。初心者にも関わらず、このような欲張りぶりに、自分でも呆れてしまいます(笑)。こう考えて妙なテンションになってしまったので、勢いで一句作ってしまいました(笑)。


「上達したい」という欲は大事。
それが無かったら、真剣に身を入れて、勉強も努力もしませんからね。

「いつき組」という「広場」は、出入り自由ですが、「真剣に切磋琢磨する場」だと、組長も述べておられます。

http://www.natsui-company.com/group/

http://natsui-and-co.jugem.jp/?search=%A5%DD%A5%E9%A1%BC%A5%CE%A4%CE%B9%AD%BE%EC


私もここを「真剣に切磋琢磨したい」人たちが集まる「広場」にしたいと思っています。

ぜひ南風の記憶さんも、「真剣に切磋琢磨する」仲間になって、これからも一緒に「作品」の品質向上を目指してくださいね!


> (例)落選と知るも通知を待つ寒夜
>
>  寒夜――ええ、沖縄も昨晩から寒い風が吹くようになり、前日までは本当に暑くて、「冬ぬくし」どころか「冬“暑し”」なんて季語を作ってしまいたくなるほどでしたが、ようやく冬の訪れを実感できました。
>
>  ところで、「重ね着」の結果発表で、「季重なり」についてのレス交換が中断してしまいましたが、比々きさんのレス及び引用の文章は読ませていただいております。非常に興味深い内容でしたので、またコメントさせてください。

楽しみにしています!

 

Re: 辛うじて……

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月 8日(土)11時18分50秒 ai126165088097.73.access-internet.ne.jp
返信・引用
  > No.4912[元記事へ]

 比々きさん、ありがとうございます。

> というより、この景の「どこに作者が感動したのか」が読者には伝わらない、子供が袖の色を赤だの青だのと言うのが、「ねえねえ、きいて、きいて」とわざわざ人に伝えるほどのことなのか、「だからなに」と言われかねない、そこが一番の問題なんだと思います。


> もし仮にこんな子がいたとしても、ただの個人的な体験の報告句、悪く言えば作り物、良く言って過保護な親の、ただの親バカ句に見える。


 ご指摘のレスを読ませていただき、「あちゃぁ……」と思いました(笑)。なるほど、第三者の目線ではそういうふうに読めてしまうのですね。なるほど「過保護」「親バカ」ですか、言われてみれば確かにそう捉えられてしまいますね。

 これは本来の意図とずれてしまっているので、どこかにイラナイ言葉があると思い、再度推敲を試みました。句自体の優劣は別として、自分の「思い」を伝える表現ができなかったというのは、やはり悔いが残ってしまいますから。

 正直に申し上げます(汗)。重ね着の袖を見て、「あか、あお……」と色の名前を唱えていたのは、少年時代の私自身なのです(笑)。図工の教科書か何かで、明るい色と暗い色を載せて比べている……後から調べると“補色”というそうですが、重ね着を見る度に、それが“補色”の図と似ている気がして、重ね着の色を比べていたものです。

 ですから、「吾子」と書いて子供の微笑ましい様子を描いたのは完全な創作――比々きさんのおっしゃるように「作り物」で、本当は“私自身の体験”だったのですよ。

……ええ、ヘンな子供です(汗)。そして、「プレバト!!」でこういうふうに言えば、次に夏井先生から何て言われるかも分かります――『だったらそう書けよ!』ですよね(苦笑)

 子供の微笑ましい様子ではなく、重ね着を補色の図に見立てていた少年時代の自分自身の体験として描いた方が、句の出来不出来は別として、よりリアリティが出るのかなと。

 こう考えた時に……イラナイのは「吾子」(子供)だなと。

 辛うじて「並」選となったものの、これも私の典型的な失敗パターンです。「炬燵」の時もそうでしたが、不要な人物を登場させてしまい、主役となる「季語」の存在をぼやけさせてしまう悪癖があるようです。考えてみれば、「人」選となった「キャンバスに香も描かんと胡桃割る」の句は、“人物”の表記はしていなかったので。

 というわけで。「並」選句については、あれはあれでヨシ(?)として、同じ材料でもう一句作ることとします。

(例)重ね着や補色対比の図に見立て

 あえて「吾子」のように人物を特定せず、「重ね着」をつい「補色対比の図」に見立ててしまうのは、どんな人物なのかな(画家かデザイナーか……まれに色に執心しているヘンな子供(笑)か)と想像させた方が、作品として幅が出るのかなと。


 閑話休題。金曜日の「天」「地」選の発表時……いつもそうなのですが、落選だと分かっているのに、ついついサイトを覗いてしまいました(笑)。初心者にも関わらず、このような欲張りぶりに、自分でも呆れてしまいます(笑)。こう考えて妙なテンションになってしまったので、勢いで一句作ってしまいました(笑)。

(例)落選と知るも通知を待つ寒夜

 寒夜――ええ、沖縄も昨晩から寒い風が吹くようになり、前日までは本当に暑くて、「冬ぬくし」どころか「冬“暑し”」なんて季語を作ってしまいたくなるほどでしたが、ようやく冬の訪れを実感できました。

 ところで、「重ね着」の結果発表で、「季重なり」についてのレス交換が中断してしまいましたが、比々きさんのレス及び引用の文章は読ませていただいております。非常に興味深い内容でしたので、またコメントさせてください。

https://stand16.hatenablog.com/

 

Re: 辛うじて……

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 7日(金)00時15分54秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4911[元記事へ]

>  申し訳ない……語彙力と読解力が足りず、正しく句意を掴めてなかったようですね(汗)。


俳句は必ずしも作者の意図通りに読んだり、鑑賞する必要はないんですよ。
ある意味「正解のない」文芸。
読者の数だけ読みがあっていい文芸。
だから、いろんな解釈、時には作者の意図していなかった深読みとかが出てきて、それがとにかく面白いんです!

手元を離れたら、作品は読者のもの。
どんどん自由に想像を膨らませて読んでくださいね。

私も自分の鑑賞用ブログに「比々きの一句鑑賞=勝手よみ」とわざわざ書いているくらいです。

私の句の場合、考えて考えて作る句ではないので、句の説明はたいがい後付け。
多分この句も、「着る」重ね着に対し、(足の爪切り&ヤスリかけるため靴下を)「脱ぐ」の「二律背反」が「一つの体に同居している」構図が面白い、西田幾太郎のいう「絶対矛盾的自己同一」(自然界の実相)が、図らずも見えていて面白いと、多分一瞬思ったんじゃないかな。
ただの爪切りだったら、何の面白みもないですからね。


>  ついでと言ってはなんですが、こちらはリアルに言いにくいことを(泣)。比々きさんのもう一つの「人」選句、実を言うとまだ内容を読み取ることができていないのです(涙)。
>
> 「重ね着のうへに据置く素面かな」
>
>  この「素面」というのは、“酒に酔っていない状態”という意味の「シラフ」で合っていますか? だとすると「お酒を飲んでいる場面で、『素面』は重ね着の上にひとまず置いて、気にせず楽しく飲みましょう」みたいな内容になるのでしょうか?
>
>  意味が読み取れないのが悔しいのですが(笑)、後学のために、この句についても少し解説いただけると嬉しいです。


「素面(しらふ)」で合ってます。
「素面」=「お酒を飲んでいない時の顔」。
なので、これは普段酒飲みの人が、酔っていた時には寒さに鈍感だったのに、素面になった途端寒さを感じて重ね着している図。

工夫したのは、その顔が重ね着の上に「ある」のではなく、「据置かれて」いる、というところ。
酒飲みの人が素面の時に感じる、「別の首にすげ換えられたような」違和感、乖離感覚を、こんなふうに表現してみました。


>  もう少しツッコメば、「重ね着の」から始めていたため、どうにか季語を主役として立てられてはいたものの、「並」選止まりだったのは、まだ季語に対する“洞察が浅い”と判断されたかもしれないと思いました。
>  「並」選句は、読みようによっては、たまたま「重ね着の袖」に目を付けた子供が、袖をのぞいて「あか、あお……」と唱え出したようにも受け取られかねません。
>
>  そこで、「重ね着」の持つ“色を複数重ねる”という要素を、さらに強められるよう、少しだけ言葉を変えてみました。この場合、「あ」の音の押韻は諦めます(汗)。
>
> 「並」選句:重ね着の袖「あか、あお……」とめくる吾子
>
>   →推敲句:重ね着を剥(む)けば色の名唱える子
>
>  「~ば(けば)」という言い回しを使うと、その子は重ね着の「色を重ねる」という機能に目を付けており、重ね着を剥けば(いつも)、「あか、あお……」など色の名前を唱えるという元々の発想を描写できます。
>
>  これで「並」選句より、いくらか良くなったと思うのですが……いかがでしょう。


というより、この景の「どこに作者が感動したのか」が読者には伝わらない、子供が袖の色を赤だの青だのと言うのが、「ねえねえ、きいて、きいて」とわざわざ人に伝えるほどのことなのか、「だからなに」と言われかねない、そこが一番の問題なんだと思います。

また、子供はどちらかというと体温が高いので、重ね着が嫌い。
なので、無抵抗に着せられるままになり、しかもどうやら「……」があるところを見ると、10枚ぐらい着させられているみたいだし、それなのに楽し気に袖をめくってはいちいち色の名前を言う、というところに全く「リアリティ」が感じられない。
もし仮にこんな子がいたとしても、ただの個人的な体験の報告句、悪く言えば作り物、良く言って過保護な親の、ただの親バカ句に見える。

幾らかの工夫が見られるものの、この句を読んでも、正直「読者」は「ハッと」しない。
何とか人と違う句を詠もうという意欲、姿勢、それを買っての並なのだと、私は思いますよ。

もし子供の口から「はなぢいろ」とか「とーますいろ」とか、赤や青などのありきたりな色の名前とは違う子供ならではの発想で名付けられた色が出てきたら、親は「ハッ」とするし、読者も「ああ、この独特な子どもの発想に、親は感動したんだな、これを伝えたかったんだな」と納得します。
そして、改めて子供の、無知なればこその、既成の概念に汚染されていない発想に、読者も「ハッ」と感動するのではないでしょうか。

組長が句の二大要件としていつも強調するのが、「オリジナリティ」と「リアリティ」。
もしかしたら、両方揃っている句が「人」で、どちらか一方だけの句が「並」なのかもしれません。





 

Re: 辛うじて……

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月 6日(木)23時16分58秒 ai126189040002.58.access-internet.ne.jp
返信・引用
  > No.4910[元記事へ]

 比々きさん、早速のコメントありがとうございます。

>
> 素敵な鑑賞、ありがとうございます!
> 我が家は東京でも山梨寄り。
> 都心より確実に気温が低く、結構寒いのですが、北海道生まれ、青森育ちなので、東京の寒さはなんのその。
> 暖房は炬燵のみ、重ね着を定番スタイルに、毎年冬を乗り切っています。
> それでなくてもお腹が邪魔なのに、重ね着をしてたら手はまだしも、足の爪は鑢かけづらいよね、というある意味トホホな句。
> こんな風に鑑賞されると、なんだか面はゆいです。
>

 申し訳ない……語彙力と読解力が足りず、正しく句意を掴めてなかったようですね(汗)。

 ついでと言ってはなんですが、こちらはリアルに言いにくいことを(泣)。比々きさんのもう一つの「人」選句、実を言うとまだ内容を読み取ることができていないのです(涙)。

「重ね着のうへに据置く素面かな」

 この「素面」というのは、“酒に酔っていない状態”という意味の「シラフ」で合っていますか? だとすると「お酒を飲んでいる場面で、『素面』は重ね着の上にひとまず置いて、気にせず楽しく飲みましょう」みたいな内容になるのでしょうか?

 意味が読み取れないのが悔しいのですが(笑)、後学のために、この句についても少し解説いただけると嬉しいです。

>
> >  さて――言いにくいのですが(笑)。私の方は、今回も“全没”……ではなく(!)、辛うじて一句「並」選に入ることができました。
>
>
> おーすごい!
> 独自の視点から詠んで、類想からは一歩も二歩も離れた句でしたね。
>

 ありがとうございます。ええ、確かに類想から離れることはできたと思います……何せ、「季語を主役に立てる」という発想すらなかった頃の句ですから(汗)。

>
> 調べもそうですが、やはり「重ね着」が最初に来る方が、季語のインパクトが強い気がします。
>

 なるほど。「季語」を主役として立てるなら、やはり「重ね着の」から始めるべきですね。もし「あか、あお……」から始めていたら、今回も全没だったかも(苦笑)。

 もう少しツッコメば、「重ね着の」から始めていたため、どうにか季語を主役として立てられてはいたものの、「並」選止まりだったのは、まだ季語に対する“洞察が浅い”と判断されたかもしれないと思いました。

 「並」選句は、読みようによっては、たまたま「重ね着の袖」に目を付けた子供が、袖をのぞいて「あか、あお……」と唱え出したようにも受け取られかねません。

 そこで、「重ね着」の持つ“色を複数重ねる”という要素を、さらに強められるよう、少しだけ言葉を変えてみました。この場合、「あ」の音の押韻は諦めます(汗)。

「並」選句:重ね着の袖「あか、あお……」とめくる吾子

  →推敲句:重ね着を剥(む)けば色の名唱える子

 「~ば(けば)」という言い回しを使うと、その子は重ね着の「色を重ねる」という機能に目を付けており、重ね着を剥けば(いつも)、「あか、あお……」など色の名前を唱えるという元々の発想を描写できます。

 これで「並」選句より、いくらか良くなったと思うのですが……いかがでしょう。

https://stand16.hatenablog.com/

 

Re: 辛うじて……

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 6日(木)22時00分55秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4909[元記事へ]

>  比々きさんへ。まずは「人」選二句、おめでとうございます。私、まだ他人の句を論評する自信はないのですが(笑)、強く共感を抱いたのは次の句です。

> 「重ね着をして研いでゐる足の爪」
>  この句を読んだ瞬間、私は冬の室内で素足を晒す時の感覚を思い浮かべました。「重ね着」をしているということは、寒い室内なのだろうと。足が床に触れる、あるいは室内の冷気に晒され、しびれるような冷たさ。そういう感覚をリアルに想像することができました。


素敵な鑑賞、ありがとうございます!
我が家は東京でも山梨寄り。
都心より確実に気温が低く、結構寒いのですが、北海道生まれ、青森育ちなので、東京の寒さはなんのその。
暖房は炬燵のみ、重ね着を定番スタイルに、毎年冬を乗り切っています。
それでなくてもお腹が邪魔なのに、重ね着をしてたら手はまだしも、足の爪は鑢かけづらいよね、というある意味トホホな句。
こんな風に鑑賞されると、なんだか面はゆいです。


>  他の「人」選句にも共通して感じるのですが、情景がとてもリアルですね。「季語」を主役に立て、なおかつ「リアリティのある内容」を詠むということの大切さを実感させられました。


そのうえ、皆さん発想が類型に嵌らないよう、ちょっとした工夫が見事ですよね!


>  さて――言いにくいのですが(笑)。私の方は、今回も“全没”……ではなく(!)、辛うじて一句「並」選に入ることができました。


おーすごい!
独自の視点から詠んで、類想からは一歩も二歩も離れた句でしたね。


>  ところで、この「並」選句について。実は「語順」で相当悩みました。
>
> 「並」選句:重ね着の袖「あか、あお……」とめくる吾子
>
>    原句:「あか、あお……」と重ね着の袖めくる吾子
>
>  上五で「あか、あお」と詠み始めた方が、謎掛けのようで面白いとも思ったのですが、後半で「あか」の『あ』、あおの『あ』、吾子の『あ』と、「あ」の押韻を畳み掛けた方が、調べは心地よくなるのではないかと。迷った末、「調べ」を優先しました。


調べもそうですが、やはり「重ね着」が最初に来る方が、季語のインパクトが強い気がします。


>  どっちみち「結果」は変わらなかったかもしれませんが、どの語順がより効果的だったか悩んでみるのも、今後の為には良いのかなと思いました。


その通り!
どんどん実験し、成功体験、失敗体験を積めば積むほど、経験智から見えてくるものがきっとあります。
並選と人選の句の「ちがい」、是非考えてみてくださいね。
考えずに漫然と詠んでいては、並からなかなか脱け出せません。

もう既に誰かが詠んだだろう「見馴れた景」か、それともおそらく誰も詠んだことのない「新鮮、お初の景」か、もしくは「見馴れた景だけど、切り口が新鮮」で、こんな角度からは誰も詠んだことがない句か、同じ景を詠むのでも「表現が今までにないオリジナル」な句、多くの人がうっかり見逃がしている「発見」をすかさず掬い上げている句、などなど、秀句には必ず「ハッとする」何かがあります。

それをしっかり押さえて詠めば、人選常連も夢じゃないと私は思いますよ。

南風の記憶さんのいいところは、視点や切り口がオリジナルなところ。
ただ、「ハッとする」何かが、今回の句には欠けていた、それが並選の理由なのかも、です。


>  もっとも、今ならこういう句は詠みません(笑)。というより、詠めないと思います。この時点では、「取り合わせ」「一物仕立て」いずれの型も使っていません。そもそも「型を使う」という発想すらありませんでした。初めて型を使って句を詠んだのは、次の兼題「枇杷の花」からになります。
>
>  よくもマァ、型も知らずに2回も入選できたなと。我ながら感心するやら呆れるやら、妙な気持ちでいます(苦笑)。


みんな、スタートはそんなもの。
大事なのはその後の努力。
人知れず地道にコツコツ努力する人に、俳句の神様は微笑んでくださる、そんな気がします。
次回「枇杷の花」、楽しみにしていますね!
 
 

辛うじて……

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月 6日(木)20時02分40秒 platinum-static25114.nirai.ne.jp
返信・引用
   皆さん、こんばんは。

 比々きさんへ。まずは「人」選二句、おめでとうございます。私、まだ他人の句を論評する自信はないのですが(笑)、強く共感を抱いたのは次の句です。

「重ね着をして研いでゐる足の爪」

 この句を読んだ瞬間、私は冬の室内で素足を晒す時の感覚を思い浮かべました。「重ね着」をしているということは、寒い室内なのだろうと。足が床に触れる、あるいは室内の冷気に晒され、しびれるような冷たさ。そういう感覚をリアルに想像することができました。

 他の「人」選句にも共通して感じるのですが、情景がとてもリアルですね。「季語」を主役に立て、なおかつ「リアリティのある内容」を詠むということの大切さを実感させられました。

 さて――言いにくいのですが(笑)。私の方は、今回も“全没”……ではなく(!)、辛うじて一句「並」選に入ることができました。

 兼題「重ね着」の応募時期、私は我流での句詠みに行き詰まっていて(今思うとアタリマエですが)、たった二句しか詠むことができなかったのです。投稿したのが二句ではなく、作った句数自体が二つだけでした。

 二つのうち、没となった句の方は、結果発表前に自分でミスに気付いていたので(こちらは後日投稿させていただきます)納得でした。「並」選句についても、“季語を主役に立てる”という基本を守れているかどうか微妙だと思っていましたし、中七に「、」と「……」を入れていましたので、音数の関係上(「……」を入れたことで、中七が音数オーバーと捉えられかねない)で厳しいだろうなと。

 そういう訳で、今回は投句数だけでなく、期待値も最小だったのですが、どうにか「並」に入ることができて良かったです。

 ところで、この「並」選句について。実は「語順」で相当悩みました。

「並」選句:重ね着の袖「あか、あお……」とめくる吾子

   原句:「あか、あお……」と重ね着の袖めくる吾子

 上五で「あか、あお」と詠み始めた方が、謎掛けのようで面白いとも思ったのですが、後半で「あか」の『あ』、あおの『あ』、吾子の『あ』と、「あ」の押韻を畳み掛けた方が、調べは心地よくなるのではないかと。迷った末、「調べ」を優先しました。

 どっちみち「結果」は変わらなかったかもしれませんが、どの語順がより効果的だったか悩んでみるのも、今後の為には良いのかなと思いました。

 もっとも、今ならこういう句は詠みません(笑)。というより、詠めないと思います。この時点では、「取り合わせ」「一物仕立て」いずれの型も使っていません。そもそも「型を使う」という発想すらありませんでした。初めて型を使って句を詠んだのは、次の兼題「枇杷の花」からになります。

 よくもマァ、型も知らずに2回も入選できたなと。我ながら感心するやら呆れるやら、妙な気持ちでいます(苦笑)。
 

https://stand16.hatenablog.com/

 

Re: お久しぶりです!

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 6日(木)12時46分33秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用
  > No.4907[元記事へ]

> >人々に本当に真実だと思わせるところまで行く
> 眼前だろうが思い出だろうが、あるいは作者の想像の景であったとしても、
> 要は「読者の脳裏にありありと景が浮かび上がること」こそが大事なのだと思いました。


ホントにそうですね!

「映像再現力」が試される、、、
そのための課題が「どう描写するか」。
「描写力」が問われる、ということなのでしょうね。


> 実際には見たことのない景・科学的根拠のないことでも、「ホントにそうかも!」と思わせるチカラのある句って素敵ですよね。


ホント!
独断のように見えて、うまく説明できないけども、なぜか惹かれる句、共感してしまう句ってありますよね!
ホントウかどうかより、ホントウらしさのほうが大事、ということなのかな?

そう思うと、俳人には、『裸の王様』の子供や三尺の童のように、また一物仕立ての句を作るときの作句姿勢のように、「ホント」に対するこだわりや、探究心、追及心が、ある程度求められるということですね。

真実の探求より、ファッションや社会的地位や財産の有る無しなど、上っ面のことにしか興味がなければ、それなりの薄っぺらで表面的な句しかできないのかも。

句姿に如実に自分が投影されてしまう、、、もしかしたら選者はそんなところを、密かに見ているのかもしれませんね。

大岡さんと川崎さんの対談1回目は「瀕死の床」で自己を深く掘り下げざるを得なかった子規のことが、2回目は虚子の化け物性についてなのですが、虚子の中には密教的阿弥陀信仰があり、やはり求道者の面影があることが指摘されていました。

組長のブログ「いつき組日誌」にも「俳句が解ったと思ったら、次の扉、ハードルが待ち構えていて、永遠のロールプレイングゲームが俳句」、というようなことが書いてありましたよね。

俳句は知れば知るほど奥が深いと私も感じているので、これからも自分なりに「俳句とは何ぞや?」を探求し続けたいと思っています。

 

お久しぶりです!

 投稿者:めぐる  投稿日:2018年12月 5日(水)23時14分13秒 101-142-238-241f1.osk1.eonet.ne.jp
返信・引用
  比々きさん、こんばんは!
『俳句チャンネル』でのお祝い有難うございました、
前の回に投句忘れて2週間空いてしまったのが良かったのかも(^^;

>人々に本当に真実だと思わせるところまで行く
眼前だろうが思い出だろうが、あるいは作者の想像の景であったとしても、
要は「読者の脳裏にありありと景が浮かび上がること」こそが大事なのだと思いました。
実際には見たことのない景・科学的根拠のないことでも、「ホントにそうかも!」と思わせるチカラのある句って素敵ですよね。
いつも惜しみなく有用な記事を紹介してくださる比々きさんに感謝です!

南風の記憶さんとのやりとりも、興味深く拝見しております。
「鮃」私も頑張らなくっちゃーーー!!!
 

文学とは

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 5日(水)10時42分50秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  いま詩人の大岡信さんと俳人の川崎展宏さんの対談本『俳句の世界』(富士見書房)を読んでいるのですが、そこにこんな面白いことが書いてありました。

「写生」とは何かを論じる枕に、子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」が出てきて、これは眼前「嘱目」の単純写生ではなくて、当時の句会記録を見ると、病床で作っているうちに草臥れてしまった子規が、先年の記憶を「思い出して」で詠んだ句であること、動けない人ほど「妄想」が存在の「奥へ奥へ」と浸透してゆき、、その「妄想」が展開に展開したあげく、「快活」な「発見」に至る、つまり「写生」と「妄想」とは別のものではないことが示されています。

川崎展宏さんの「鶏頭に鶏頭ごつと触れゐたる」の創作秘話も書かれていて、これも眼前「嘱目」ではなく、虚子の文章の中に出てくる「兀(ごつ)」という字のことを考えているうちに鶏頭が出てきて出来た句なのだとか。

1回目の対談の最後に「文学とは」について語っているので、そこを抜粋引用してみますね。

42p~44p
「大岡 実際には鶏頭の句でも属目の句のように見せているけれども、明らかに昔見た記憶の中のことばかりですね。「鶏頭の十四五本もありぬべし」を、その時の子規庵の庭の鶏頭だと言い張るのは、むしろ文学というものが発生してくる場というものについて、あまりにも無理解な見方じゃないかという気がする。
(中略)
 大岡 (前略)写生というのは、その場にあるものを写したって写生にならないことは当たり前なんで、言ってみたってしょうがないんだ、そんなことは。
 川崎 その場のものを言葉で写すことはできないんだから。
 大岡 できません。要するに、文学というのは根本的に言えば頭の中に起きる出来事であって、眼が見るものが文学じゃないんだ。そのことをぼくは言いたいね。
 川崎 一種の「妄想」なんですよ。
 大岡 そう、妄想。(中略)その妄想が、人々に本当に真実だと思わせるところまで行くのが文学なんで、そうでないものはまさに単なる妄想にすぎない。(後略)
 川崎 ”写生妄想“(後略)」


※「妄想が、人々に本当に真実だと思わせるところまで行くのが文学」、なるほど!です。
選者はよく「頭で作った句だからダメ」というけれど、「頭じゃなかったら、どこで作るの?」と常々思っていた私。
「頭じゃなくて、正確には、理屈で作った句だからダメなんじゃないの」、と思っていたので、とても腑に落ちました。

「妄想」が深く自分という存在の中に浸透、降りて行く「内省」の大切さ、その結果、存在の本質に触れた句だけが(本質は普遍的なので)それが他者である読者の共感をよび、作者と読者を「つなぐ」んですね!

 

Re: 「おウチde俳句」手に入れました!

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 4日(火)13時51分32秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4902[元記事へ]

>  添削句にある「同じう」や「ゐて独り」のような、俳句特有の言い回しが、なかなかすっと出てこないのが、句詠みの際に悩んでしまうところです。この辺り、比々きさんが以前おっしゃったように、もっと秀句を鑑賞する必要があるなと痛感しております(汗)。


もちろん秀句鑑賞は大事ですが、言い回しは、自分が作りやすい言い回しでいいと思いますよ。

私も句によっては今風の話し言葉で書くこともありますし、要は難しく考えず、芭蕉の言う「かろみ」、「言葉で遊ぶ」感覚が大事。
今回はわざと時代がかった表現にして、「嫁姑問題って、昔っからこうだよね」、「男女七歳にして席を同じうせず」という言葉があるけど、「女同士でも席を同じうしないのね」という、揶揄のニュアンスをちょっぴり篭めてみただけです。


> > ちなみに「取り合わせ」は、ピッタリの雰囲気のものをもってくるのも勿論アリですが、俳句は「予定調和を嫌う」ので、敢えて少しズラして、暗めの内容には少し明るめのもの、というふうにコントラストを付けて、お互いがお互いを引き立て合う、という取り合わせ方もあるみたいです。
>
>  なるほど! それなら最初に調べた「冬ぬくし」を上五に置いても良かったかもしれませんね。あるいは「秋寒」はそのままに、内容をもっと祭りらしく賑やかにするとか。
>
> (例1)冬ぬくし出店の菓子に値下げ札
> (例2)秋寒や囃子の子らのさんざめき


ちょっと変えるだけで、句のニュアンスが微妙に変わるのが、俳句の面白いところ。

長谷川櫂さんは、それを服のコーディネートに喩えています。

「和」的で、「粋」なコーディネートは、「同系色(例えば、茶色にベージュなど)」を合わせ「無難」を目指すのではなく、むしろ十二単や着物の袖裏や蹴出しなどに見られるように、「反対色(例えば、赤と緑、黄色と紫など)」か、それに近い色、つまり「ハッとする」色を合わせるやり方。

俳句も「粋」な「言葉遊び」の要素もあるので、これ見よがしというより、「袖裏」や「蹴出し」のように、目立たないところに「ハッとする」表現をしのばせる、そういう粋人感覚が求められているような気がしています。


>  俳句をやっている人間からすれば、季感や季語の常識が揺らぎ、眩暈さえ覚えてしまいそうなシュールな光景のオンパレードでした(苦笑)。「プレバト!!」で“季重なり”を指摘されても、「だって実際そうだったんだもん」としか言えないような(笑)。
>  どうせなら……と思い、開き直って“季重なり”の句を詠んでみました。
>
> (例3)囃子の子さざめく冬の花火かな
>
>  「花火」という季語に対して、もっと強い季語「冬」を被せることで、強弱を付けた……ツモリです(汗)。


今日の俳ポの「俳句道場」、池之端モルトさんの質問への回答として、組長はこう答えていらっしゃいます。

○ズレもまた季語の本意の要素だと考えております。また、海外詠における季重なりは、むしろその地の特徴と捉えてもよいのではないかと思います。

「575筆まかせ」の「花火」の句を見ても、
https://fudemaka57.exblog.jp/26114230/

「冬花火」または「冬の花火」で詠まれた句の先例として、

 冬花火きりんの首の長くなる 星野麥丘人
 冬花火揚り何かが終焉す 安住敦
 冬花火浮かぬ貌してあがりたる 安住敦
 意表に出し冬の花火を瞳にしまふ 三橋鷹女

それ以外の季節でも、

 春の峡霧へ花火を打ちてし止まん 金子兜太
 春は曙花火打ち揚ぐ三河人 金子兜太
 昼からの花火湖畔の秋祭 高浜年尾

などあり、皆さん堂々と季節外れの「花火」を詠んでおられます。

初心のころは、まずは型の習得ということで仕方がないですが、句歴を重ねても相変わらず教条的に「こうでなければ」と規則や前例に縛られ、融通の利かない頑固爺のようになるのは、俳句の「自由・革新」の精神に反すること。

「型は破られるためにある」ので、是非ある程度学んだら上記の先人たちに見倣い、季語の新しい局面を開くような、斬新な句を作って、選者に「こういう句は初めて。見たことがない」と言わせたいものですね!

そういう意味では、沖縄や北海道は意外と恵まれた立地なのかも、です。


>  さて。先週末より、「鮃」の“一物仕立て”に取り組んでいます。Youtubeにて鮃の映像を繰り返し観察し、いくつか発見もあったのですが……これをリズムよく詠むことに悪戦苦闘中です(汗)。まだ締め切りには間があるので、少しでも良い句が出来るように努めます。


おお、すごい!
兼題を戴くたびにこうやっていろいろ調べるので、雑学の知識の殖えること、増えること(笑)
自然に博学になりますよね。
俳句は自ずから視野を広げてくれるので、人生をより豊かに過ごすにはうってつけの伴侶。
脳の血流も勿論よくなりますし、俳句の効用には計り知れないものがあります。
私も鮃、今から頑張ろっと!
 

Re: 「おウチde俳句」手に入れました!

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月 3日(月)22時59分14秒 ai126183100069.57.access-internet.ne.jp
返信・引用
  > No.4901[元記事へ]

 比々きさん、いつもありがとうございます。
>
>  兄の部屋の炬燵に兄のゐて独り
>
>  炬燵同じうせざる仲なり祖母と母
>
> どちらも「暖かい」炬燵に入りながら、「冷えびえ」とした心情を抱えている、その「対比」が句の味わいになるように作ってみたのですが、どうでしょうか。


 添削句にある「同じう」や「ゐて独り」のような、俳句特有の言い回しが、なかなかすっと出てこないのが、句詠みの際に悩んでしまうところです。この辺り、比々きさんが以前おっしゃったように、もっと秀句を鑑賞する必要があるなと痛感しております(汗)。

>
> ちなみに「取り合わせ」は、ピッタリの雰囲気のものをもってくるのも勿論アリですが、俳句は「予定調和を嫌う」ので、敢えて少しズラして、暗めの内容には少し明るめのもの、というふうにコントラストを付けて、お互いがお互いを引き立て合う、という取り合わせ方もあるみたいです。
>

 なるほど! それなら最初に調べた「冬ぬくし」を上五に置いても良かったかもしれませんね。あるいは「秋寒」はそのままに、内容をもっと祭りらしく賑やかにするとか。


(例1)冬ぬくし出店の菓子に値下げ札

(例2)秋寒や囃子の子らのさんざめき


 それにしても。昨日の祭りの光景、比々きさんにも“ある意味”見せたかったです(笑)。元々、9月末に予定されていたものが、台風の為二ヶ月以上延期になったのをようやく催したのですが、内容は9月に決めたものをそのまま実施したのです。その結果……

 暦は12月と「冬」なのに、「ソーダ水」「サイダー」(夏の季語)が売っているわ、「花火」(同じく夏の季語)は打ちあがるわ。オマケに沖縄ですので、「蚊」(夏の季語)も飛んでくるわ、暑すぎて「汗」(これも夏の季語)を掻くわ。

 俳句をやっている人間からすれば、季感や季語の常識が揺らぎ、眩暈さえ覚えてしまいそうなシュールな光景のオンパレードでした(苦笑)。「プレバト!!」で“季重なり”を指摘されても、「だって実際そうだったんだもん」としか言えないような(笑)。


 どうせなら……と思い、開き直って“季重なり”の句を詠んでみました。

(例3)囃子の子さざめく冬の花火かな

 「花火」という季語に対して、もっと強い季語「冬」を被せることで、強弱を付けた……ツモリです(汗)。

 さて。先週末より、「鮃」の“一物仕立て”に取り組んでいます。Youtubeにて鮃の映像を繰り返し観察し、いくつか発見もあったのですが……これをリズムよく詠むことに悪戦苦闘中です(汗)。まだ締め切りには間があるので、少しでも良い句が出来るように努めます。

https://stand16.hatenablog.com/

 

Re: 「おウチde俳句」手に入れました!

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 3日(月)10時54分30秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4900[元記事へ]

>  ですから、一番ギクシャクしていたのは……私の心だったなと(苦笑)。以前、東国原さんが「プレバト!!」で言っておられましたが、俳句というものは作者の心理状態が露骨に反映されてしまうのですね。「心が乱れてはダメ」だと。


長谷川櫂さんも言っておられますが、生き方、生きる姿勢が、句姿に如実に顕われてしまうのが俳句なのかもしれませんね。

そうであれば、俳句以前、つまり作品より、作者自身が問われるということになりますね。


>  何が「しまった」かと言いますと……そもそも「僕」と書く必要はないですね。「父母」と書くだけで、もう一人(子供である)作者の存在は自ずと分かります。イラナイ言葉を入れてしまえば、リズムが悪くなるのも当然です。


すご~い!自分で自分の句をちゃんと客観視できてる!


>  「僕」を省くだけで、上五・中七・下五すべて「五・七・五」に収まりました。
> (原句1)兄に一つ父母と僕に一つ炬燵
> →(添削)茶の間にも兄の部屋にもあり炬燵
> (原句2)祖母に一つ父母とぼくに一つ炬燵
> →(添削)茶の間にも祖母の寝間にもあり炬燵
>  姑と嫁・婿との関係を詠むなら、次のようにもできますね。
> (例)茶の間にも義母の寝間にもあり炬燵


おお、ぐっと良くなりましたね!

But、添削1も2も、読みようによっては「ただの報告」句になってしまい、読者目線には「それがどうした」になりがち。

「視点を変えて」、別な角度から詠むことで、お兄さんやお婆ちゃんの孤立感を目立たせることができるかもしれませんね。

例えば、

 兄の部屋の炬燵に兄のゐて独り

 炬燵同じうせざる仲なり祖母と母

どちらも「暖かい」炬燵に入りながら、「冷えびえ」とした心情を抱えている、その「対比」が句の味わいになるように作ってみたのですが、どうでしょうか。


>  閑話休題。前述の「用事」とは……近所で「秋祭り」があり、そのスタッフをボランティアですることになっていたのでした。暦は12月だというのに、日中は冬をすっとばして春が来たかのように暖かでした。
>  この「冬なのに暖かい」状態、もしかして季語にあるんじゃないかと思い……家に帰って歳時記で調べてみました。すると、そのものズバリ「冬暖か」あるいは「冬ぬくし」という季語を見付けることができました。


すばらしい!!!
こんな風に、日常の今まで何気なく見過ごしていた「風景に季語の名前が付く」ようになれば、もういっぱしの俳人です!


>  もっとも、沖縄では、12月初旬はまだ「秋」という感覚です。夜になるとさすがに冷えてきたのですが、これは冬の寒さというよりは“秋寒(あきさむ)”の方が、しっくりきます。
>  そこで――季語「秋寒」を用いて、今日の出来事を一句詠んでみました。
>
> 「秋寒や出店の菓子に値下げ札」
>
>  今日の秋祭りには、子供達も多く集まっていたのですが、意外にも「お菓子」が売れないのです。暗くなる頃には、売れ残りが多いせいか「値下げ札」が掛けられていました。何となくその光景が、“秋寒”の少し侘しい気分とマッチしている感じがしたので、取り合わせてみました。


すご~い!
自分の心が「ピピッ」と反応したら、すかさず一句。
この「日ごとの修練」が、南風の記憶さんを確実に俳人にしてくれます。

ちなみに「取り合わせ」は、ピッタリの雰囲気のものをもってくるのも勿論アリですが、俳句は「予定調和を嫌う」ので、敢えて少しズラして、暗めの内容には少し明るめのもの、というふうにコントラストを付けて、お互いがお互いを引き立て合う、という取り合わせ方もあるみたいです。

ここで発表してくださってもいいですし、もし「これは!」というのができたら、他のところへもどんどん投句して、選者の厳しい眼に曝してみることをお勧めします!

それで没になったら、またここで一緒に考えてみましょう!

 

Re: 「おウチde俳句」手に入れました!

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月 3日(月)00時03分22秒 ai126146054029.53.access-internet.ne.jp
返信・引用
  > No.4899[元記事へ]

 比々きさん、早速のコメントありがとうございます。

 今回は……ごめんなさい、正直推敲が足りませんでした。先ほどの書き込みと例句1,2は、正午から用事があり、少し焦って書き上げたものです。推敲が足りない状態で見せてしまったこと、申し訳なかったです。

 ですから、一番ギクシャクしていたのは……私の心だったなと(苦笑)。以前、東国原さんが「プレバト!!」で言っておられましたが、俳句というものは作者の心理状態が露骨に反映されてしまうのですね。「心が乱れてはダメ」だと。

 比々きさんのレスが付く前に、自分の二句を読み直して……「しまった」と(汗)。

 何が「しまった」かと言いますと……そもそも「僕」と書く必要はないですね。「父母」と書くだけで、もう一人(子供である)作者の存在は自ずと分かります。イラナイ言葉を入れてしまえば、リズムが悪くなるのも当然です。

 「僕」を省くだけで、上五・中七・下五すべて「五・七・五」に収まりました。


(原句1)兄に一つ父母と僕に一つ炬燵

→(添削)茶の間にも兄の部屋にもあり炬燵


(原句2)祖母に一つ父母とぼくに一つ炬燵

→(添削)茶の間にも祖母の寝間にもあり炬燵

 姑と嫁・婿との関係を詠むなら、次のようにもできますね。

(例)茶の間にも義母の寝間にもあり炬燵

 閑話休題。前述の「用事」とは……近所で「秋祭り」があり、そのスタッフをボランティアですることになっていたのでした。暦は12月だというのに、日中は冬をすっとばして春が来たかのように暖かでした。

 この「冬なのに暖かい」状態、もしかして季語にあるんじゃないかと思い……家に帰って歳時記で調べてみました。すると、そのものズバリ「冬暖か」あるいは「冬ぬくし」という季語を見付けることができました。

 もっとも、沖縄では、12月初旬はまだ「秋」という感覚です。夜になるとさすがに冷えてきたのですが、これは冬の寒さというよりは“秋寒(あきさむ)”の方が、しっくりきます。

 そこで――季語「秋寒」を用いて、今日の出来事を一句詠んでみました。

「秋寒や出店の菓子に値下げ札」

 今日の秋祭りには、子供達も多く集まっていたのですが、意外にも「お菓子」が売れないのです。暗くなる頃には、売れ残りが多いせいか「値下げ札」が掛けられていました。何となくその光景が、“秋寒”の少し侘しい気分とマッチしている感じがしたので、取り合わせてみました。







https://stand16.hatenablog.com/

 

Re: 「おウチde俳句」手に入れました!

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 2日(日)13時58分5秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4898[元記事へ]

> (例1)兄に一つ父母とぼくに一つ炬燵
> (例2)祖母に一つ父母とぼくに一つ炬燵
>  比々きさんの“すべてを説明せず、読み手に想像させる”とのアドバイスを受け、自分なりに「こういうことかな……」と考えながら、作ってみました。二句とも「子」の視点です。
>(例1)は、兄がワガママをして炬燵を独占しているのか。あるいは……引きこもりなのか?と想像させる句にしました。
>(例2)は、なぜか自分達とおばあちゃんの炬燵が別々。“嫁姑の関係”を、子供の目線で詠んでみました。


率直に言って、リズムに難あり。
余程の必然性がない限り、字余りが許されるのは上五のみ。
中七は極力7音に収めたほうがいいとは、プレバトでもよく組長が言ってますよね。

「あににひとつ」(6音)「ふぼとぼくに」(6音)or「ちちははとぼくに」(8音)「ひとつこたつ」(6音)

上五はいざ知らず、中七・下五も字余り、字足らずなのは、なんとしたことか(苦笑)
もしかして家族関係の「ぎくしゃく」感をこの音律に籠めたのかな?

「ちちははとぼく」は「ぎくしゃく」してないんだよね?
でもこれだと「ちちははとぼく」まで「ぎくしゃく」している感じ。
そこ、組長なら、絶対ツッコんでくると思いますよ(笑)

俳句は韻文。
韻文の「韻」には「ひびき」という意味があります。
なので、声に出して読んだ時の調べが大事。
芭蕉も、句の調べが整わない時は「舌頭に千転せよ」、声に出して何度も読んで、つっかからずになめらかに読めるまで、推敲し、推敲しなさい、と言っています。

五・七・五は、日本語を話す日本人の体感には「自然」なリズム、「無理」がありません。
このリズムになるまで、要再チャレンジかな。


>  さて、夏井いつき先生の『おウチde俳句』の本、先日ようやく購入することができました。色々な秀句が載っていて、面白いしとても参考になります。
>  私は今、助詞の“の”“に”“へ”を使った対比表現の型を練習しているところでして、この本を使って勉強している最中です。


「切字」と「助詞」を使いこなす、それが俳句の命運を決める鍵だと言われています。
「千里の道も一歩から」、努力が無駄になることはありません。
失敗も、形を変えた学びです。


>  最後に独り言を……私も許されるなら、夏井先生を“組長”と呼ばせていただこうかな(ボソッ)。


組員は今日からでも、勝手に名乗れます。
俳句を作ること自体、ある意味ヤクザなこと。

やくざ:大辞泉
https://kotobank.jp/word/%E3%82%84%E3%81%8F%E3%81%96-647826#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

是非、次回の書き込みからは「組長」でいきましょう!


 

「おウチde俳句」手に入れました!

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年12月 2日(日)10時58分7秒 ai126162069022.56.access-internet.ne.jp
返信・引用
  > No.4889[元記事へ]

 皆さん、こんにちは。

 比々きさんへ。

> 初心者は無知ですから、失敗して恥をかくのは当たり前。
 「訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥」という言葉もあります。
 「訊く」ということは、「私は知らない」ということを、自ら認めること。
 それは自分の限界を認める謙虚さや、弱さを認める、ある種の勇気の表れ。

 良いように捉えていただき、ありがとうございます。元はと言えばブログで「プレバト!!」のパロディを書いてみたいという“不純な動機”で始めましたので、恥を晒すのも本望です。

 それに実際、この掲示板で比々きさんや他の皆さんとの交流がなければ、自分の句が客観的にどう見られるのかサッパリ分からないままでしたから、今や私にとって「ハイポ掲示板」は、とても大切な学びの場です。

 さて。先日の添削句「我に一つ妻子に一つあり炬燵」があまりにも素晴らしかったので、“仕組み”は比々きさんの句をそのまま使わせていただき、少し状況を変えてみました。


(例1)兄に一つ父母とぼくに一つ炬燵

(例2)祖母に一つ父母とぼくに一つ炬燵

 比々きさんの“すべてを説明せず、読み手に想像させる”とのアドバイスを受け、自分なりに「こういうことかな……」と考えながら、作ってみました。二句とも「子」の視点です。

 (例1)は、兄がワガママをして炬燵を独占しているのか。あるいは……引きこもりなのか?と想像させる句にしました。

 (例2)は、なぜか自分達とおばあちゃんの炬燵が別々。“嫁姑の関係”を、子供の目線で詠んでみました。

 このパターンで、人物やモノを入れ替えると、色々な状況が詠めそうですね。ちょっとシャレにならない内容になりそうですが(笑)。

 さて、夏井いつき先生の『おウチde俳句』の本、先日ようやく購入することができました。色々な秀句が載っていて、面白いしとても参考になります。

 私は今、助詞の“の”“に”“へ”を使った対比表現の型を練習しているところでして、この本を使って勉強している最中です。


 最後に独り言を……私も許されるなら、夏井先生を“組長”と呼ばせていただこうかな(ボソッ)。

https://stand16.hatenablog.com/

 

通販生活、今月の締め切りは25日です

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 2日(日)00時42分55秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用
  今「通販生活」の今月の兼題を見たら、「凩(こがらし)」で、〆切が12月25日(火)になっていました。

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/haiku/guideline.html

今月だけは月末〆切ではありませんので、お間違えなく。
 

「俳」とは何か?

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 1日(土)15時29分47秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  「俳」とは何か?

今まで読んだ中で長谷川櫂さんの説明が一番詳しく、納得がいきます。

『俳句的生活』(中公新書)より。

217p~218p
「俳句の俳とは権威や常識にとらわれずに思ったままをずばりということである。(中略)明治時代になって正岡子規が俳諧の発句を略して俳句と呼び始めた。俳句は俳諧の発句から俳の一字とともに俳の精神を受け継いだ。
 俳という漢字は二人の人が戯れ合っている姿を写した字であるらしい。そこからこの字は喜劇を意味し、喜劇を演じる役者や道化を表すようになった。これに対して、悲劇や悲劇役者を表す漢字が優である。この字は髪に喪章の麻紐を結び、憂いに沈む人の姿を表わしている。そして、喜劇や悲劇を演じる人が俳優である。
(中略)そうした役者や道化は権威や常識に縛られることなく自由に、しばしば権力者の耳には快いといえない真実を滑稽な身振りや口ぶりをまじえて語った。この真実をくるんだ滑稽な言葉が俳諧や俳句の俳なのである。」
221p
「権威や常識への異議申し立てこそが俳だった。」
222p
「『三冊子』の中に「俳諧は三尺の童にさせよ」という芭蕉の言葉がみえる。俳諧はむやみに言葉を飾らず、小さな子どものように思ったことをそのまま口にするのが大事というのである。
 アンデルセン童話の『裸の王様』でも王様自身をはじめとして大人たちはみな仕立て屋の巧みな言葉に目をくらまされて王様が素っ裸であることに気づかないふりをするが、一人の子どもだけが誰にも遠慮せずに「王様は裸だ」と叫ぶ。この子どもこそは俳という字のモデルとなった古代中国の道化であり、芭蕉のいう三尺の童子であり、大群衆にまぎれた小さな俳諧師である。」

いかがでしょうか?プレバトの組長が髣髴としませんか?
人の思惑や反応を気にしているうちは、本物の「俳」じゃないということ。
これを読んで、もともと人の顔色など窺ったりする方ではないのですが、ますます本物の「俳」を目指し、自分にも人にも真っ正直でいたいと思わされました。

 

組長ブログが移転、新しくなりました!

 投稿者:比々き  投稿日:2018年12月 1日(土)14時21分4秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  いつものように、組長のブログに飛んだら、今日から夏井&カンパニーへ移転とのお知らせ!
タイトルも心機一転。

夏井いつきの「いつき組日誌」
http://natsui-and-co.jugem.jp/?eid=1#comments

組長はお忙しいから無理かもしれないけれど、活動報告だけでなく、私個人としては、昔の古い記事のように、俳句の核心にかかわる話も読みたいところ。

闇雲に作っていても、いつかは行き詰る、そんな時の初心者向け打開法なども。

追記
今見たら、上記は朝に書かれたマヤ暦の記事、下記は夜に書かれたいつき組大忘年会の報告と組長の所信。
カレンダーの12月1日を押して出てくるのはこちらですが、記事の最下部の>>を押すとマヤ暦の記事が出てきます。
http://natsui-and-co.jugem.jp/?day=20181201

 

韻文とは何か

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月29日(木)14時11分31秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  長谷川櫂さんの『俳句的生活』(中公新書)を読んでいたら、こんな文章が。

36p~38p
「(意味を伝えることが主目的の)散文と反対に言葉の風味で成り立つ世界がある。俳句や短歌や詩など、散文に対して韻文と呼ばれるものがそれである。韻文は言葉の論理性を超越して、しばしば無視して、ときには蹂躙して生まれてくる。つまり韻文とは無意味なものでありナンセンスなものであって、本来、社会生活にとっては何の役にも立たない。芭蕉があるとき「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて、用ふる所なし」(「許六離別の詞」)ともらしたのも、この辺の消息を伝えている。
 俳句は韻文の中でも最も短いことから容易に想像できるように極端な韻文であって、言葉の意味を最小限に抑えて、その代わりに言葉の風味を最大限に生かそうとする形式である。そのために俳句には切れがある。切れによって俳句は散文の文脈を切り、言葉から意味を剥ぎとって、文脈を首飾りであるとすれば首飾りの糸に相当する意味の連鎖を断ち切ろうとするのである。
 人間が生活している世間は理屈でできているから、誰でもふだんは理屈の中にどっぷりと浸かって暮らしている。誰も理屈に支配される世間の外に別の自由な世界があろうなどとは考えてもみない。
 初めて俳句を詠もうとする人がなかなかうまく詠めないのはこの世間の理屈から抜け出すことができないからである。また、すばらしい知性の持ち主がさて俳句を詠むとなるとたちまち金縛りにあったように言葉の自由を失ってしまったりするのも、その人がすぐれた知性の持ち主であるためにかえって理屈に縛られているということに気づかず、理屈を断ち切れないでいる場合がままある。」

これって、プレバトでしばしばお目にかかる場面ですよね。

・散文の目的:言葉で意味を伝える
・韻文の目的:言葉で言外の風味(心情・気分)を伝える。
       書かれた言葉を手掛かりに、「書かれていないこと」を読みとる

こんな感じなのかな?

ちなみに長谷川櫂さんは、中学生の時から俳句を作り始め、22年勤めた新聞社を辞めて俳句専業になった時、いちばん大きな問題は、「会社を辞めたあと、どうして生活してゆくか、食べていくか」、だったそう。
莫大な財産もなく、妻は無収入の専業主婦、子供たちは高校生と中学生で、数年前に借金して買ったマンションのローンも大半がまだ残っている状態だったのだそうです。

それでも踏み切れたのは、俳句の「切れ」のことが心の中にあったから。
「切れ」は俳句の命、俳句に専念したいなら、自分の人生さえさっと切れないようではその資格などない、会社を辞めるのを諦めるような、そんなヤワな性格では到底俳句には向いていない、運を俳句の神様に任せて一歩前に踏み出すしかない、そう考えたのだとか。

この決断は、まさに組長もそうでしたよね。

また、全てを棄てて世捨て人さながらに行脚の人生を送った芭蕉や、父蛇笏から受け継いだ創刊80年になろうとする歴史ある俳句雑誌『雲母』を、ある時きっぱりとやめてしまい、同時に自句の発表もやめてしまった飯田龍太、彼らの「俳句」そのものの生きざまにも感化を受けたのだとか。

俳句をやるということは、自らの生き方さえ問われる、かほど厳しいものだと、襟を正される思いのする一書でした。

 

「古池」の句はなぜ蕉風開眼の句なのか

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月28日(水)00時54分15秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  今、長谷川櫂さんの『和の思想 異質のものを共存させる力』(中公新書)という本を読んでいるのですが、その中に日本文化の特徴「和」とは何か、俳句という文芸の本質とは何か、とても大事なことが書いてあります。

要点をかいつまむと、

◆和歌:「人の心を糧として」「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて」(「古今和歌集」序文)、とあるように、一貫して「心の世界」を詠むもの。

◆俳諧の発句:和歌の本歌取りなど、単なる言葉遊び。「心の世界」は詠まない。

◆芭蕉の蕉風俳諧:「現実の世界」のできごと+その現実によって引き起こされた「心の世界」のできごとを詠む、つまり「現実の世界」と「心の世界」という異質・異次元の二つの世界を「取り合わせ」て詠む。

こういう詠み方はそれまで無かったので、まさにエポックメーキング、画期的だった。

「古池や」の句は、「先に」「蛙飛びこむ水のおと」(「現実世界」)があり、それに触発されて「後から」「古池」という面影=「心の世界」が出てきた。

芭蕉の句は、なのでほぼこの形、「現実世界」+「心の世界」で出来ている。

例:旅に病んで(「現実世界」)夢は枯野をかけ廻る(「心の世界」)

◆凡兆の「取り合わせ」句=「現実の世界A」+「現実の世界B」を「和音」のように響き合わせて詠む。

やはり同じ「現実の世界」でも、「異質」のものを「取り合わせ」るという大原則は、変わらない。

○例:鶯や下駄の歯につく小田の土

「現実の世界A」(例:ケーキ)+「現実の世界A´」(例:羊羹)は「取り合わせ」ではない。

×例:春雨(orたんぽぽ)や下駄の歯につく小田の土

×春雨:春雨で土が緩んで、それで下駄の歯についたのだな、と「理屈」で納得してしまう。
×たんぽぽ:土をすぐ連想する。

俳句は「間(ま)」の文芸。

「付きすぎ」の句:似たもの同士が並んだ句。「間(ま)」が生まれない句。
「離れすぎ」の句:「間(ま)」が拡散し、とりとめのない句。

101p
「俳句はわずか十七音しかないので、いちばん短い文芸であるなどといわれるが、それは言葉だけに目を奪われるからそうなのであって、ほんとうは俳句の言葉のまわりに言葉より雄弁な間が広がっている。俳句を詠むということは言葉だけでなく、言葉のまわりの間を切れを使って使いこなすことなのだが、、俳句をはじめたばかりの人は間が見えないので、いきおい、言葉だけでものを言おうとする。その結果、俳句という小さな器に言葉を詰めこみ、窮屈な句にしてしまう。名句といわれる句は決してそんな窮屈な印象を与えない。等伯の描いた屏風の松のように豊かに広がる余白のあいだに静かにのびのびとたたずんでいるものなのだ。」


、などなど、本質にかかわる大事な話が満載。

似たもの同士が仲良くするのは「和」ではなく「馴れ合い」、などなど、「和」の概念が変わる、必読のおススメ本、です!

 

Re: ブログ更新と、「没句」の可能性について

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月27日(火)12時59分39秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4890[元記事へ]

ヨミビトシラズさんも書いておられます。

>……色々と口うるさい事を言ってすみません(>_<)
>私も俳句ポスト投句時にやっていますが、自分の句を自分で突っ込んで評価・反省する事はとても大切です。
>しかし、「自分で作った句を、先入観抜きのゼロの気分で読む(=読み手の気分になって読む・17字のみを読んで景を思い浮かべる)」というのは地味に大変難しい事です。
>しかし知識と経験を積み重ねていけば、やがて精度の高い突っ込みができるようになり、ひいては良い句を作る事ができるようになるはずです。焦らずゆっくり頑張りましょう(^_^)


私も全く同じ気持ちです。

「灯台下暗し」で、人の句のアラは見えても、自分の句のアラはなかなか見えないもの。

南風の記憶さんが自らスケープゴートを買って出て下さったお蔭で、私も言った以上は「自分も気を付けなくっちゃ」という気持ちになります。

大体みなさん同じような失敗をするので、南風の記憶さんが典型的な間違いをすると、「ああ、私もおんなじことやってる」と、「人の振り見て我が振り直せ」で、逆にものすご~く勉強になりますし、仲間意識も芽生えます。

要は、こういうやりとりは、双方にとってプラスになるということ。

句会でも、「逆選」といって、「なぜ自分はこの句を採らなかったか」を、率直に、忌憚なく語り合う機会があります。
自分の句が、他者目線にはどう映るかを知る、そのためのとてもいいシステムです。
それを繰り返すことで、少しづつ「ひとりよがり」から脱け出す助けになっています。

初心者は無知ですから、失敗して恥をかくのは当たり前。
「訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥」という言葉もあります。
「訊く」ということは、「私は知らない」ということを、自ら認めること。
それは自分の限界を認める謙虚さや、弱さを認める、ある種の勇気の表れ。

そう考えれば「恥をかく」ということは、ある種の「勲章」じゃないか、と私には思えます。

恥をかくたびに、確実に何かを掴み、学んで、成長するのは確か。

これからも大いに恥をかいて、でっかく成長していきましょうね!



 

Re: ブログ更新と、「没句」の可能性について

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年11月27日(火)00時42分8秒 ai126183053141.57.access-internet.ne.jp
返信・引用
  > No.4889[元記事へ]

 比々きさん、ありがとうございます。

> 例えばですが、「二台の」と「説明」せずに、
>
>  吾に一つ妻子に一つあり炬燵
>
> 、と「事実だけ」を「提示」するだけで、お父さんの炬燵と妻子の炬燵は別々、つまり「二台の」炬燵であることが伝わりますよね。
>
> 次いで、炬燵は普通一家に一台ですから、一家に「二台」あるのが「普通ではない」状況だということが伝わります。
> 「異常」事態に直面すると、人間心理として、何とかこの異常事態を合理的に解釈しようと、あれこれ考え始めますよね。
>
> 「なんでお父さんは妻子とは別の炬燵なんだろう?」「なんで一緒の炬燵に入らないんだろう?」と疑問が湧き、「もしかしたら、このお父さんは家族から今疎外されてるのかな?」「あるよなあ、こういうこと。」と、自分の経験と照らし合わせて、想像がどんどん膨らんでいきます。
>
> 家族からの疎外感を感じているお父さんは結構多く、「お父さんあるある」で、お父さんは勿論、疎外している妻子の側からも共感してもらえるかもしれません。
>

 すばらしい! うわぁ……正直、やられました(笑)。コレですよコレ、元々私が言いたかったことは! おっしゃるように、この書き方なら情景もよく伝わりますし、またお父さんの感じている「家族からの疎外感」も想像できますね。

 いつもながら、勉強になりました。
 

https://stand16.hatenablog.com/entry/2018/11/25/170350

 

Re: ブログ更新と、「没句」の可能性について

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月26日(月)23時31分23秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4888[元記事へ]

>  夏井いつき先生の『おうちde俳句』の本、先週いくつか書店を回ってみたのですが、見つけられませんでした。沖縄の場合、県外の書店より入荷が5日ほど遅れるので、まだ早かったのかもしれません。もう少し探してみます。


私の住んでいる青梅の本屋さんにもなくて、仕方がないのでAmazonに注文して取り寄せました。
新刊なので、送料は無料。
沖縄は、さすが新刊でも島嶼料金がかかるのかな?
もしそうなら、本屋さんに直接取り寄せてくださるようお願いすると、送料無料で取り寄せてくださるはず。
一度訊いてみるといいかもしれませんね。


> (推敲1)二台目の炬燵ドア越しの声々(こえこえ)
> (推敲2)ドア越しの声々二台目の炬燵
> (推敲3)声だけの「ママ」「なぁに?」二台の炬燵
> (推敲4)声だけの「オーイ」「なに?」二台の炬燵


読者目線で言わせてもらえば、やはり景色がちょっと見えにくいかな。

例えばですが、「二台の」と「説明」せずに、

 吾に一つ妻子に一つあり炬燵

、と「事実だけ」を「提示」するだけで、お父さんの炬燵と妻子の炬燵は別々、つまり「二台の」炬燵であることが伝わりますよね。

次いで、炬燵は普通一家に一台ですから、一家に「二台」あるのが「普通ではない」「異例」の状況だということが伝わります。

「異例」の事態=「謎」に直面すると、人間心理として、何とかこの異常事態を合理的に解釈しようと、あれこれ考え始めますよね。

「なんでお父さんは妻子とは別の炬燵なんだろう?」「なんで一緒の炬燵に入らないんだろう?」と疑問が湧き、「もしかしたら、このお父さんは家族から今疎外されてるのかな?」と想像し、「あるよなあ、こういうこと。」と、自分の経験と照らし合わせて、自分なりの納得いく「解釈」を導き出します。

勿論、似たような体験が無ければ、別な解釈をする人も出てくるでしょう。
例えば、お父さんには専用の書斎があり、居間のほかに、そこにも炬燵があるんだな、というような解釈です。

いづれにしても、妻子の団欒と離れたところにいるお父さんの姿が見えてきます。

家族からの疎外感を感じているお父さんは結構多く、「お父さんあるある」で、お父さんは勿論、疎外している妻子の側からも共感してもらえるかもしれません。

俳句は、どうしても「これを伝えたい」と力むと、「説明」に走りがち。
結果「ひとりよがり」になってしまい、自分には分っても、読者にはちっとも分らない、という、「プレバトあるある」の残念な表現になってしまいます。

そこをぐっとこらえて「客観描写」、つまりもう一人の自分が天井から俯瞰しているかのように、「他人目線」で「感情をこめずに」「事実だけ」を「淡々と」描写する。

俳句は短歌と違い短いので、「一番語りたいことは、敢えて語らない」文学。

その代わりに、ちょっとしたヒントだけを与えて「読者に想像してもらう」文学。

「どうすれば、読者により核心に近づくような想像をしてもらえるだろうか?」、そのための「描写の工夫」に血道を上げる文学。

そういうものだと私は考えているのですが、どうでしょうか。




 

Re: ブログ更新と、「没句」の可能性について

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年11月26日(月)22時21分12秒 YRMcd-02p8-214.ppp11.odn.ad.jp
返信・引用
  > No.4887[元記事へ]

 比々きさん、いつもありがとうございます。

 夏井いつき先生の『おうちde俳句』の本、先週いくつか書店を回ってみたのですが、見つけられませんでした。沖縄の場合、県外の書店より入荷が5日ほど遅れるので、まだ早かったのかもしれません。もう少し探してみます。

 さて、本題です。比々きさんのアドバイス通りに、一晩寝かせてみました。すると……やはり、見えてくるものがありました!

 季重なりとなる「襖」の代わりとしては、私も「箪笥」「衝立」など考えてみたのですが、音数の関係上、比々きさん提案の「ドア」が一番しっくりくるのかなと。……ここまで考えた時、「あっ」と思いました。

 「語順」です。

(推敲1)二台目の炬燵ドア越しの声々(こえこえ)

 句として一応成立はしていますが、これでは散文的です。「二台目の炬燵(を買ったので家族がバラバラですごすようになり)ドア越しの声々(だけが聞こえるようになりました)」と、文をちぎって俳句っぽくしただけの印象を受けてしまいます。
 そこで、語順を入れ替えてみました。

(推敲2)ドア越しの声々二台目の炬燵

 このようにすると、「どうしてドア越しに話しているんだろう」と思った瞬間、最後に「二台目の炬燵」が出てきて、「ああ炬燵が二台あり、それぞれに集まって動かないから、会話もドア越しになるんだな」というふうに、ちょっとした謎掛けにもなります。

 さらに。いっそのこと「ドア越し」という場所を省き、声の描写をより具体的にすれば、もっとリアリティが出てくるんじゃないかとも思いました。例えば、次のような具合です。炬燵から動きたくなくて、相手と顔を合わせることなく声だけで会話する様子が浮かびます。この場合、二台目の「目」は省いて良さそうです。

(推敲3)声だけの「ママ」「なぁに?」二台の炬燵

 もっと「怠惰」な空気を出すため、次のように会話させることも考えられます。面倒くさそうに会話させてみます。

(推敲4)声だけの「オーイ」「なに?」二台の炬燵

 いずれにせよ……やはり、いくらでも工夫の余地はあったのだなと(汗)。ああ、もっと早くこの「ハイポ掲示板」に来ていたら、と今さらながら悔やまれてなりません(苦笑)。

https://stand16.hatenablog.com/entry/

 

Re: ブログ更新と、「没句」の可能性について

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月26日(月)01時30分52秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4886[元記事へ]

>  それと質問なのですが……「おうちde俳句」に関して、「玄関」「リビング」「寝室」「台所」「風呂」「トイレ」とテーマがありましたが、テーマの“ワード”も使うべきなのでしょうか。それとも、テーマのことを詠んでいれば、ワード自体は使わなくても良いのでしょうか(例えば「玄関」の句では、「玄関」というワードも使うべきなのか否か)。
>
>  一回目の投稿では、無難にワードを入れた句を詠んだのですが、二回目以降はどうしようか迷っていましたので。


もしまだでしたら、是非「おウチde俳句」、手に入れることをお勧めします。

秀句が最良の先生です。

「大賞」へは、この中の秀句とご自分の句を比べてから出しても、遅くはないと思います。
むしろそうした方が、入選の確率は上がると思いますよ。

今見たところ、「玄関」「トイレ」などのテーマワードは必ずしも使わなくても、「毛布」や「朝寝」で「寝室」だと分れば、それでいいみたいですね。

この本を読めば、自分がいかに俳句の種だらけの中にいるか、よ~く分かります。
俳句作りが気の重い作業でなく、気楽になること請け合い。
おススメ、です!
 

Re: ブログ更新と、「没句」の可能性について

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年11月26日(月)00時25分29秒 ai126151006117.55.access-internet.ne.jp
返信・引用
  > No.4885[元記事へ]

 比々きさん、早速のコメントありがとうございます。

 先ほど書きそびれてしまったのですが、比々きさんの「おうちde俳句」をカレンダーにするというアイディア、すばらしいと思います。

 私も正直「プレバト!!」を見る前までは、俳句や短歌の世界は何となくカタクルシイという印象がどうしてもありました。カレンダーという形で、さりげなく日常生活に俳句を浸透させることができれば、もっともっと俳句に親しみを持つ人が増えそうです。

>
> 実は「襖」も冬の季語。
> よって、またまた、き・が・さ・な・り~(笑)
> 季語はホント、油断大敵!
> 思いがけないものが季語になっているので、そこらじゅう地雷が仕掛けられていると思っていたほうがいいです。
> 妻子を「めこ」と読ませる、これも組長なら絶対ツッコンデくるんじゃないかな。
>

 またやっちゃったようです(笑)。そう!「地雷」という表現、まさにピッタリですね。襖なんて一年中あるものだから、それが季語だと疑いもしませんでした。

 しかし、「〇〇越しの」の〇〇には、色々なバージョンが考えられそうですね。「ドア越しの」「衝立越しの」「箪笥越しの」等、思い付くだけでもこれだけ出てきました。あ、そうそう……思い付く度に『歳時記』の目次を開き、チェックはしてみました。

 ふと気付いたのですが、最近は比々きさんに「季重なり」以外の指摘はされなくなったな、と。最初に「色鳥」の句を読んでいただいた時は、新しい句を書き込む度に突っ込まれていたので、私も意地になってまた句を作り、「これならどうだ!」と投稿を続けたものでした(笑)。

 そしてついに、「色鳥やイソップの本選ぶ午後」の句で、比々きさんやめぐるさんに初めて褒めてもらった時の、何とうれしかったこと! あの時初めて、「俳句を詠む」という行為の感覚が、自分の中にすうっと落ちていった気がしました。

 振り返ってみると、この時の比々きさんとのレス交換が、私にとってはとても大きかったのです。自分の作った句に、初めて率直な意見をいただいたのですから。掲示板という場所ではありますが、夏井先生がおっしゃるように、自分の句を「外に発表する」ことの大切を実感します。


> 南風の記憶さんの句は、大体いつも一晩寝かせると見違えるほど良くなるので、明日に期待したいと思います(笑)
>

 おっしゃるように、もう一晩考えてみます。 今いくつか思い付くものもあるのですが、慌てると大体ロクなことがないので(汗)。


 それと質問なのですが……「おうちde俳句」に関して、「玄関」「リビング」「寝室」「台所」「風呂」「トイレ」とテーマがありましたが、テーマの“ワード”も使うべきなのでしょうか。それとも、テーマのことを詠んでいれば、ワード自体は使わなくても良いのでしょうか(例えば「玄関」の句では、「玄関」というワードも使うべきなのか否か)。

 一回目の投稿では、無難にワードを入れた句を詠んだのですが、二回目以降はどうしようか迷っていましたので。

https://stand16.hatenablog.com/entry/2018/11/25/170350

 

Re: ブログ更新と、「没句」の可能性について

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月25日(日)23時02分33秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用
  > No.4884[元記事へ]

>  比々きさん、投句先のリンクのご紹介ありがとうございます。そのうちの一つ、夏井いつき先生が選者を務める「おうちde俳句大賞」について、本日3句投稿させていただきました。初心者の私がこういうのもオコガマシイかもしれませんが……正直、入選を狙っています! 結果がすべてではありませんが、「結果を出すツモリ」で取り組まないと上達はないと考え、かなり本気で取り組みました。


はやっ!来年の2月一杯まで募集してるので、「コレは!」というのができたら、どんどん送ってみてくださいね。

主催の朝日出版社、今回集まった秀句から「おうちde俳句」の日めくり、組長監修で作ってくれないかなあ。


>  話変わって。タイトルの通り、兼題「炬燵」に関するブログ記事をアップしましたので、お知らせ致します。掲載した3句は、全没を喰らっただけあって、後から読み返してみてもツッコミ所満載で、皮肉にもかなりリアルな「プレバト!!」のパロディを描くことができました。今回も笑っていただければと思います。


読みました。
正直「こりゃダメだ」と思いました(笑)
点数も、おそらく組長ならもっと低く下方修正しそう(笑)


>  さて、ブログの最新エントリー記事に関して。最後に取り上げた没句、何とか添削できないものかと考えております。
>
> (没句)「炬燵増え襖(ふすま)に妻子(めこ)の声遠し」


実は「襖」も冬の季語。
よって、またまた、き・が・さ・な・り~(笑)
季語はホント、油断大敵!
思いがけないものが季語になっているので、そこらじゅう地雷が仕掛けられていると思っていたほうがいいです。
妻子を「めこ」と読ませる、これも組長なら絶対ツッコンデくるんじゃないかな。


>  句の意味は、古い炬燵に加え新しい炬燵を手に入れた家族が、二ヶ所に炬燵を置いたことにより、バラバラになってしまった。襖越しに妻子の声を聴くお父さんの寂しさ。……といった感じです。
>
>  この句、上五の「炬燵増え」と「声遠し」が説明的で、また全体的に散文的だという問題はあるのですが、炬燵の持つ「人を集める」という機能を逆手に取った発想自体はそう悪くはなかったのに、技術的な不味さで入選を逃してしまった……と悔やんでいます。
>
>  差し当たり、自分なりに推敲してみましたが……いかがでしょうか。
>
> (推敲例1)二台目の炬燵襖(ふすま)越しの声々(こえこえ)
>
>  寒いと動きたくなくなりますし、家族の会話が障子越しになってしまいます。お察しかもしれませんが……ええ、これもダラシナイ私の実体験です(汗)。


「襖」は使えないので、ここはちょっとフィクションで「ドア越し」ぐらいにするしかないかなあ。
「実+虚」のスタイルは俳句の王道なので、実に拘る必要は全くないですからね。

南風の記憶さんの句は、大体いつも一晩寝かせると見違えるほど良くなるので、明日に期待したいと思います(笑)

 

ブログ更新と、「没句」の可能性について

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年11月25日(日)20時40分7秒 ai126151048166.55.access-internet.ne.jp
返信・引用
   皆さんこんばんは。

 比々きさん、投句先のリンクのご紹介ありがとうございます。そのうちの一つ、夏井いつき先生が選者を務める「おうちde俳句大賞」について、本日3句投稿させていただきました。初心者の私がこういうのもオコガマシイかもしれませんが……正直、入選を狙っています! 結果がすべてではありませんが、「結果を出すツモリ」で取り組まないと上達はないと考え、かなり本気で取り組みました。

 話変わって。タイトルの通り、兼題「炬燵」に関するブログ記事をアップしましたので、お知らせ致します。掲載した3句は、全没を喰らっただけあって、後から読み返してみてもツッコミ所満載で、皮肉にもかなりリアルな「プレバト!!」のパロディを描くことができました。今回も笑っていただければと思います。

 さて、ブログの最新エントリー記事に関して。最後に取り上げた没句、何とか添削できないものかと考えております。

(没句)「炬燵増え襖(ふすま)に妻子(めこ)の声遠し」

 句の意味は、古い炬燵に加え新しい炬燵を手に入れた家族が、二ヶ所に炬燵を置いたことにより、バラバラになってしまった。襖越しに妻子の声を聴くお父さんの寂しさ。……といった感じです。

 この句、上五の「炬燵増え」と「声遠し」が説明的で、また全体的に散文的だという問題はあるのですが、炬燵の持つ「人を集める」という機能を逆手に取った発想自体はそう悪くはなかったのに、技術的な不味さで入選を逃してしまった……と悔やんでいます。

 差し当たり、自分なりに推敲してみましたが……いかがでしょうか。

(推敲例1)二台目の炬燵襖(ふすま)越しの声々(こえこえ)

 寒いと動きたくなくなりますし、家族の会話が障子越しになってしまいます。お察しかもしれませんが……ええ、これもダラシナイ私の実体験です(汗)。

https://stand16.hatenablog.com/entry/2018/11/25/170350

 

きらり~ん!

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月25日(日)13時50分45秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  「おウチde俳句」、これトイレなんかに掛けてある「日めくり」にしたら絶対いいと思う。

リビング、台所、寝室、玄関、風呂、トイレ、それぞれに特化した俳句の日めくりを、それぞれの場所に掛けておくだけで、家族の無意識に俳句の種がまかれる、、、

プレゼントしたら、そこの家族の無意識にも、もちろん俳句の種がまかれる、、、

職場や学校でもし許可が出れば、そこでも種がまかれる、、、

毎年読者から「おウチde俳句」を募集して、「日めくり」の売り上げの一部は「俳句甲子園」の協賛金にする、、、

一石何鳥?

わあ~、誰かこのアイデア、早く組長の耳に入れてくださ~い!

 

色々な投句先

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月24日(土)15時00分57秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  ①毎週結果発表のあるもの

◆一句一遊:http://575.aritani-mahoro.com/cgi-bin/rakugaki/petit.cgi
:選者・夏井いつき
:兼題あり
:締め切り・隔週日曜日
:ku@rnb.co.jp 宛、件名欄に兼題を記入し、各兼題ごとに1通
:俳号(ふりがな)・本名・住所、明記
:発表・月~金

◆e船団俳句クリニック:http://sendan.kaisya.co.jp/clinic.html
:選者・8人の選者の交替制
:自由
:締め切り・毎週日曜日
:専用フォームあり
:発表・毎週水曜日

◆NHK俳句・俳句さく咲く:http://www4.nhk.or.jp/nhkhaiku/
:選者・宇田喜代子・岸本尚毅・星野高士・櫂未知子
:兼題&自由
:締め切り・毎月10日・25日
:専用フォームあり
:発表・第1~第4日曜日Eテレ午前6:35~7:00 再放送水曜日15:00~15:25
 月刊「NHK俳句」(毎月20日発行)誌上

◆俳句チャンネル:http://www.baribari789.com/category/bangumi/page/2
:選者・今治五七五実行委員会
:兼題あり。各1句のみ。
:締め切り・隔週日曜日
:radio@baribari789.com、FAX番号は0898-33-0789宛
:兼題ごと別メール。俳号(ふりがな)・本名・住所、明記
:発表・毎週火曜10:30~11:00、再放送毎週水曜日22:00~22:30
 インターネットサイマルラジオにて:https://www.jcbasimul.com/radio/865/

②隔週で結果発表のあるもの

◆広島テレビ俳句道場:http://www.htv.jp/tv-ha/haiku/index.html
:選者・谷村秀格
:兼題あり
:締め切り・隔週水曜日
:専用フォームあり
:発表・隔週水曜日

③月一で結果発表のあるもの

◆ラジオまどんなラジオ句会:https://www.nhk.or.jp/matsuyama/madonna/
:選者・神野紗希
:兼題あり
:締め切り・放送当日まで
:専用フォームあり
:発表・毎月第一月曜17:05~17:55
 NHKラジオらじる★らじるにて:https://www.nhk.or.jp/radio/?area=matsuyama

◆伊吹嶺HP句会:http://ibukinet.jp/hp_touku_form.html
:選者:長崎眞由美・髙橋幸子・坪野洋子・国枝隆生
:当季雑詠・2句まで
:締め切り・毎月15日
:専用フォームあり
:発表・毎月20日

◆現代俳句協会インターネット俳句会:http://www.gendaihaiku.gr.jp/haikukai/
:互選・講評あり
:当季雑詠・3句まで
:要会員登録
:締め切り・毎月20日
:選句締め切り:毎月末
:発表・毎月1日

◆伝統俳句協会Web投句箱:http://haiku.jp/?page_id=2895
:選者・田丸千種
:兼題あり
:締め切り・毎月20日
:専用フォームあり
:発表・毎月月末

◆おひるのクローバー・ムービー俳句:http://www.nhk.or.jp/matsuyama/hirukuro/
:選者・夏井いつき
:兼題ムービーを見て、発想を自由に飛ばして作る
:締め切り・毎月第三もしくは第四月曜
:専用フォームあり
:発表・http://www.nhk.or.jp/matsuyama-blog/hirukuro/haiku/

◆野性俳壇:https://post.kadokawa.jp/yaseijidai/tankahaiku/
:選者・夏井いつき・長嶋有
:兼題&無季
:締め切り・毎月末
:専用フォームあり
:発表・角川月刊「小説野性時代」(毎月12日発行)誌上

◆通販生活・よ句もわる句も:https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/haiku/?sid=top_right_haiku
:選者・夏井いつき
:兼題あり
:締め切り・毎月末
:専用フォームあり
:発表・毎月15日

◆岩波俳句:https://www.iwanami.co.jp/sekai_haiku/
:選者・池田澄子
:兼題&自由
:締め切り・毎月15日
:専用フォームあり
:発表・月刊「世界」(毎月8日発行)誌上

◆文學の森・恋する俳句:http://www.bungak.com/service/koisuru.php
:選者・月刊「俳句界」編集部
:季語の入った、恋に関する俳句
:締め切り・毎月20日
:専用フォームあり
:発表・翌月の5日以降

◆金曜俳句:http://www.kinyobi.co.jp/blog/?p=4283
:選者・櫂未知子
:兼題&自由
:締め切り・毎月末
:官製はがきかメール(henshubu@kinyobi.co.jp宛)
 氏名、俳号(ふりがな)、電話番号、明記
:発表・週刊「金曜日」第4金曜発行分誌上

◆山本海苔・俳句庵:https://www.yamamoto-noriten.co.jp/haikuan/
:選者・安立公彦
:兼題あり
:締め切り・毎月25日
:専用フォームあり
:発表・毎月25日ごろ

◆「NHK俳句」テキスト・むずかしい俳句
:選者・夏井いつき
:兼題あり
:締め切り・毎月20日必着
:葉書のみ
 ・テーマ
 ・俳句(ふりがな)
 ・表現したい内容、苦労した点(80字以内)
 ・住所・氏名(ふりがな)・俳号・電話、明記
:宛先・〒150-8081
    NHK出版 「NHK俳句」テキスト編集部 「むずかしい俳句」係
:発表・月刊「NHK俳句」(毎月20日発行)誌上

④数ヶ月に一度結果発表のあるもの

◆テレビ大阪・俳句クラブ:http://www.tv-osaka.co.jp/haiku_club/
:選者・夏井いつき
:自由
:締め切り・上記HPで確認
:専用フォームあり
:要会員登録(無料)
:発表・上記HPで確認



 

Re: 兼題「炬燵」に再チャレンジします!(その2)

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月24日(土)11時21分27秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用
  > No.4880[元記事へ]

> (添削例)炬燵出す回転灯の走る街(まち)

> (添削例2)薄闇の炬燵片頭痛に呻く


おおっ、いいですね!
昨日の今日で、ここまで推敲できるなんて、素晴らしい!


>  さて。比々きさんほど多くないのですが、私も「俳句ポスト365」以外に、愛媛新聞の「青嵐」への投句を今月より始めています。先週投句したのが、あの「色鳥」のリベンジ句です。こちらに書き込んだ句と少し内容は変えました。


「青嵐」は40歳未満の方が投句できるんですよね。
ネットで結果が見られるようなので、時々見てみますね。

https://www.za-chelin.jp/article/news201811120028


>  また、以前比々きさんが紹介された「伊藤園新俳句」や「松山スポーツ俳句」にも取り組みました。結果が出るのは、まだだいぶ先になりますが。


すばらしい!
投句しても採用されるとは限りませんが、私は「作句の機会を与えてくれる」「季語に馴染み、季語の本意について考える機会を与えてくれ、使える季語を増やすのに役立つ」、という理由で、毎度没でもしつこく投句し続けています。


>  他にもおススメのサイト等ご存知でしたら、教えていただけるとありがたいです。


色々な投句先、別ログでご紹介しますね。
皆さんも、もしそれ以外でご存知でしたら、どんどん書き込んでみてください。

 

Re: 兼題「炬燵」に再チャレンジします!(その2)

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年11月24日(土)10時11分48秒 ai126188019060.59.access-internet.ne.jp
返信・引用
  > No.4879[元記事へ]

 比々きさん、早速のコメントありがとうございます。

> あれえ~、これ初心者ならずともうっかりやっちゃいますよね。
> じつはじつは、火災、火事も冬の季語なんです~。
> ということは、またもや「き・が・さ・な・り」(笑)
>

 あらら(汗)。いやぁ、ウッカリでした。比々きさんのレスを読んで、思い出したのですが……言われてみれば、「歳時記」に“火事”が冬の季語として載っているのを、私読んでいたんです。しかもわざわざ、マーカーで線も引いて(笑)。

 しかも「冬は火事が増える」って、自分で説明もしています。だから「季語」なんですよね、とほほ……

 早速修正。元々「危険」のイメージなので、わざわざ「火事」と書かなくても良いのかなと思いました。ここで「消防車」と書きそうになったのですが……アブナイ! 消防車も冬の季語なのですね(汗)。

 そこで……「火事」か何か分からないけれど、とにかく「事故」が発生したと分かるようにしようと考えました。消防車や救急車、パトカーに付いているランプ――「回転灯」と言うそうですね。

(添削例)炬燵出す回転灯の走る街(まち)

>
> 炬燵は普通家族が集まりやすいリビングにあるので、もしかしたら場所の「説明」の「リビン
グ」はいらないかも、です。
>

 なるほど! それなら、私が片頭痛に苦しんだ時の状況を、もっとリアルに再現することとします(笑)。

 片頭痛が治まるまで眠ることもできないので、冬だとリビングの炬燵に入ったまま動かないことが多いのです(苦笑)。ひどい時は、夜中まで。さすがに電気代が気になるので、電灯は常夜灯のみにして薄暗くした状態にします。

(添削例1)薄闇の炬燵連夜の片頭痛

 このようにしてみて気になったのが、「薄闇」と連夜の「夜」のイメージが近いので、どちらか削った方が良いのかなと思いました。

 そこで、片頭痛の苦しみをもっと生々しく描いてみます(笑)。

(添削例2)薄闇の炬燵片頭痛に呻く

 やっぱり一句詠んだ後は、ちゃんと推敲しないとダメですね(汗)。

 さて。比々きさんほど多くないのですが、私も「俳句ポスト365」以外に、愛媛新聞の「青嵐」への投句を今月より始めています。先週投句したのが、あの「色鳥」のリベンジ句です。こちらに書き込んだ句と少し内容は変えました。

 また、以前比々きさんが紹介された「伊藤園新俳句」や「松山スポーツ俳句」にも取り組みました。結果が出るのは、まだだいぶ先になりますが。

 他にもおススメのサイト等ご存知でしたら、教えていただけるとありがたいです。

https://stand16.hatenablog.com/entry/

 

Re: 兼題「炬燵」に再チャレンジします!(その2)

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月24日(土)00時27分19秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用
  > No.4877[元記事へ]

はやっ!


> (例句1)炬燵出す今月五件目の火災


あれえ~、これ初心者ならずともうっかりやっちゃいますよね。
じつはじつは、火災、火事も冬の季語なんです~。
ということは、またもや「き・が・さ・な・り」(笑)


>  続いて二句目は、まったく個人的な体験で詠んでみます。
>  私……実は幼少期より、片頭痛に悩まされています。さらに、炬燵に入ると熱でのぼせてしまい、ますます片頭痛が悪化してしまったりします。ヒドイ時は、連夜に渡り悩まされることもあるくらいです(汗)。そういう日は、自分の部屋に戻ることさえ辛く、リビングで頭痛が収まるのをひたすら待ちます。


片頭痛、辛いですよね。
じっとしてても痛いのに、ちょっとでも頭が揺れようものなら、、、
この間の「ためしてガッテン」では、痛くなってから薬を飲むのではなく、痛くなる前に飲むという方法が勧められていましたが、、、
痛みがあるのは、ホント辛い。
私も20代のころ若年性リューマチ(膠原病)で、2年間寝たきりを経験しました。
関節が腫れて痛くて、靴が履けませんでした。
南風の記憶さんも、お大事にしてくださいね。


> (例句2)リビングの炬燵連夜の片頭痛


炬燵は普通家族が集まりやすいリビングにあるので、もしかしたら場所の「説明」の「リビング」はいらないかも、です。


>  簡単ではありますが、これぐらい日常的なモノの方が、かえって評価されたかもしれません。いずれにしても、二ヶ月前はあまりにも俳句を知らなさ過ぎたと痛感しています。


みんな一緒です。
最初っから知ってる人なんていません。
失敗し、そのたびに少しづつ学んで、皆さん今があります。

ドンマイ、です!


 
 

Re: 兼題「炬燵」に再チャレンジします!(その1)

 投稿者:比々き  投稿日:2018年11月23日(金)23時48分9秒 softbank126015112059.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.4876[元記事へ]

> 比々きさんへ。奇遇にも、夏井先生の『世界一わかりやすい俳句の授業』は、今月初旬に購入していました。まさしく“蟋蟀”の「一物仕立て」の句の章は、私も興味深く読ませていただきました。特に文中の「蟋蟀や産卵管のしなりけり」の句は、前回の兼題「枇杷の花」の句詠みの際、かなり参考とすることができました。


おおっ、さすが!ぬかりがない!


> 閑話休題。残念ながら、今回の兼題「炬燵」は全没となり、連続入選とはなりませんでした。残念ではありますが、まだ俳句の基礎の基礎も知らず、ただ17音に言葉を無理やり当てはめていた頃の句。読み返してみると、やはりマズイ点ばかりが目につき「これじゃあダメだろうな」と思っていました。


私も2回目は全没でした。
多分皆さんも漏れなく全没経験者。
ハイポ以外では、全没は今でも日常茶飯事です。
そのうち慣れて免疫がつき、逞しくなるので大丈夫ですよ。


>  当然、この没句もブログのネタにする予定ですが(笑)、その前に、再度「炬燵」の句を詠み直すことにします。結果発表の前から、今回は「今ならこうするのにな……」と後悔しきりでしたので。その思いが熱いうちに。


詠みっぱなしにしないで、反省点を次に生かす。
その繰り返しが明日の名句に繋がります。
もし「お、これはちょっといいぞ」というのができたら、ハイポ以外のところに投句してみてください。
ハイポで選ばれなくても他のところではヒットすることがあるので、投句先を複数持つとリベンジも可能。
是非お試しを!


>  長くなりましたので、(その2)にてリベンジ句を載せることとします。


ブログ、いつもあまりにもリアルなので、笑いながら楽しませていただいています。
(その2)も、今から楽しみにしていますね!

 

兼題「炬燵」に再チャレンジします!(その2)

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年11月23日(金)23時47分24秒 ai126149028132.54.access-internet.ne.jp
返信・引用
  (<その1>の続きです。)

 句を詠む前に、季語「炬燵」について押さえます。やはり「温かさ」「冬の寒さ」は前提として、「優しい」「人が集まりやすい」イメージを持つこと。そして「俳句ポスト365」の記事により「怠惰」や「(一酸化炭素中毒等、事故の)危険」という側面もあるという点も踏まえることとしました。

 まず一句目は、「危険」の側面を詠むことにします。

 炬燵を出す冬は、空気が乾燥して火事が増える時期でもあります。また、炬燵が原因となった火災も珍しくありません。私は時々、炬燵のスイッチを消し忘れることがあり(汗)、火事のニュースや消防車のサイレンを聞くたび、ヒヤリとします。
 このように、ほぼ実体験から一句出来ました。


(例句1)炬燵出す今月五件目の火災

 続いて二句目は、まったく個人的な体験で詠んでみます。
 私……実は幼少期より、片頭痛に悩まされています。さらに、炬燵に入ると熱でのぼせてしまい、ますます片頭痛が悪化してしまったりします。ヒドイ時は、連夜に渡り悩まされることもあるくらいです(汗)。そういう日は、自分の部屋に戻ることさえ辛く、リビングで頭痛が収まるのをひたすら待ちます。

(例句2)リビングの炬燵連夜の片頭痛

 簡単ではありますが、これぐらい日常的なモノの方が、かえって評価されたかもしれません。いずれにしても、二ヶ月前はあまりにも俳句を知らなさ過ぎたと痛感しています。 

https://stand16.hatenablog.com/entry/

 

兼題「炬燵」に再チャレンジします!(その1)

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2018年11月23日(金)22時47分31秒 ai126149028132.54.access-internet.ne.jp
返信・引用
   比々きさん、皆さんこんばんは。

 比々きさんへ。奇遇にも、夏井先生の『世界一わかりやすい俳句の授業』は、今月初旬に購入していました。まさしく“蟋蟀”の「一物仕立て」の句の章は、私も興味深く読ませていただきました。特に文中の「蟋蟀や産卵管のしなりけり」の句は、前回の兼題「枇杷の花」の句詠みの際、かなり参考とすることができました。

 閑話休題。残念ながら、今回の兼題「炬燵」は全没となり、連続入選とはなりませんでした。残念ではありますが、まだ俳句の基礎の基礎も知らず、ただ17音に言葉を無理やり当てはめていた頃の句。読み返してみると、やはりマズイ点ばかりが目につき「これじゃあダメだろうな」と思っていました。

 当然、この没句もブログのネタにする予定ですが(笑)、その前に、再度「炬燵」の句を詠み直すことにします。結果発表の前から、今回は「今ならこうするのにな……」と後悔しきりでしたので。その思いが熱いうちに。

 長くなりましたので、(その2)にてリベンジ句を載せることとします。

https://stand16.hatenablog.com/entry/

 

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