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スレッド一覧

  1. 足あと帳(52)
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私たちはなぜ俳句を作るのか

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 8月10日(月)12時57分2秒 softbank126012117094.bbtec.net
返信・引用 編集済
  私たちはなぜ俳句を作るのか。

お読みになった方もおられると思いますが、大事なことを角川「俳句」2月号219pで組長が書いておられるので、ここにも採録しておきたいと思います。


俳句を愛しているからなのか、それとも「褒められること」を愛しているからなのか。

※組長のYouTubeでも取り上げられましたが、後者だと俳句を作るのが次第に「苦しくなる」のかな?

https://www.youtube.com/watch?v=y7z6XMLirpM


「句会で点が入る、俳句大会で入選する、それらはグリコのおまけです。

私たちはなぜ俳句を作るのか。それは「作る」という行為が楽しいからです。好奇心を持って句材を探すことが楽しい。様々な季語と出会うことが楽しい。表現することが楽しいから、俳句を作るのです。

キャラメルではなく、おまけが目的となってしまった人は、いずれ俳句に捨てられます。実に傷ましいことですが、残念ながら自業自得というしかありません。

俳句を愛する私たちは、俳句に捨てられたくない。だから、真摯に俳句と立ち向かう。だから、真剣に俳句と遊ぶのです。俳句を愛する私たちは、信頼のもとにつながっていなくてはいけません。清らかな思いで、俳句のある人生を共に歩いてまいりましょう。」


 
 

岸本尚毅の俳句レッスン

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 8月 7日(金)11時03分25秒 softbank060071099162.bbtec.net
返信・引用
  秋田魁新報の電子版に「岸本尚毅の俳句レッスン」が月2回連載中です。

https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_01.jsp


読者の句を敲き台にして、推敲前と推敲後ではどう印象が変わるのか、作句のヒントがいっぱい。
是非参考になさってください。


 

現代俳句協会インターネット句会、いよいよ始動!

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 8月 2日(日)14時18分26秒 softbank126015029006.bbtec.net
返信・引用 編集済
  長らく改修工事中だった現代俳句協会のインターネット句会、ようやく投句可能に!

第一回目はG1、G2合同句会。
会員、非会員問わず参加できます。

https://gendaihaiku.gr.jp/create/kukai-2/

【投句開始】8月1日23時59分
【投句〆切】8月8日23時59分
【選句〆切】8月15日23時59分
【参加条件】18歳以上。G1/G2合同、協会員以外も可
【句数】5句出し(無季可)、5句選(特1・並4)。特選は2点の扱い


ネット句会の新規会員登録はこちらから。

https://kukai.gendaihaiku.gr.jp/mypage/registration






 

俳句史にかがやく病障害者たち

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月24日(金)12時55分31秒 softbank126015125024.bbtec.net
返信・引用
  盲目の俳人安積素顔の句を探していたら、こんな記事に出会いました。

俳句史にかがやく病障害者たち

https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n414/n414011.html


障害や病と共に生きる上で俳句の有る無しは、その後の心境に大きな違いをもたらす、そんな気がします。


 

俳句は特別な人のものではない

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月23日(木)15時41分46秒 softbank060148065176.bbtec.net
返信・引用
  Yahooニュースの記事です。

「俳句は特別な人のものではない」を体現…若者にも浸透させた夏井いつきの功績

https://news.yahoo.co.jp/articles/cb62a2cc56654321afd6bcc47fd9c3b40b25cb20

 

フジモン&フルポン村上の俳句が教科書に!

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月23日(木)12時04分51秒 softbank060148065176.bbtec.net
返信・引用
  今日の組長ブログから飛んだら、こんな記事が!

https://www.oricon.co.jp/news/2167706/full/

今晩のプレバトも楽しみです!

 

フルポン村上の俳句修行@ハイポニスト達とZoom句会・後編

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月19日(日)13時08分31秒 softbank126019094069.bbtec.net
返信・引用
  後半は、オフショル・粉ポカリなど、新しい季語を提案する「季語提案の座」。

新しい句会のあり方を示唆する、ヒントがいっぱいです!

詳細はこちらから。

https://book.asahi.com/article/13540454

 

夏井いつき with WEB句会ライブ

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月17日(金)11時46分35秒 softbank126015087056.bbtec.net
返信・引用 編集済
  組長ブログでも紹介がありました「夏井いつき with WEB句会ライブ」。

【募集期間】
2020年7月15日(水)~ 29日(水)

【実施日時】
2020年8月29日(土)13:00 ~

【申込条件】
・イベント当日パソコンにてZOOMで参加できる方。
・イベント当日携帯メールが使用可能(特定のアドレスにメールが送れる)であること。
・イベント実施前にZOOM&携帯メールの操作テストを実施いただけること。
・イベント当日のZOOM映像は後日、ネット・テレビ等で使用させていただく可能性があることをご了承頂ける方。


抽選で50名、全国どこからでも参加できます。

申し込み及び詳細は下記より。

http://www.matsuyama-jc.or.jp/topics/business/8753.html



 

フルポン村上の俳句修行@ハイポニスト達とZoom句会・前編

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月17日(金)11時36分31秒 softbank126015087056.bbtec.net
返信・引用 編集済
  今回のリモート句会2回目は、なんと!ハイポニストたちと。

出席者は、村上さんに加え、『うかれ猫句会』を主宰している彼方ひらくさん、七瀬ゆきこさん、桃猫さん、笑松さん、洒落神戸さん、北野きのこさん、あるきしちはるさん、野良古さん、香野さとみZさん、青海也緒さん、クラウド坂の上さん、大槻税悦さん、土井探花さん(欠席投句)。

兼題の出題もなかなか凝ってます。

前編はこちら。

https://book.asahi.com/article/13540447

明日アップする後編も楽しみです!


 

聞きごたえのある組長インタビュー動画

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月11日(土)15時45分5秒 softbank126015155025.bbtec.net
返信・引用
  ①やのひろみ×夏井いつき

https://www.youtube.com/watch?v=QIotQtXQN-k

②姜 琪東×夏井いつき

https://www.youtube.com/watch?v=mSmkZVe1r5I


是非ご覧ください!

 

「一句一遊」の投句

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月 6日(月)12時18分59秒 softbank126015246247.bbtec.net
返信・引用
  今までのメール投句に加え、ホームページの投句フォームからも投句できるようになりました。

https://www.rnb.co.jp/radio/haiku/



 

夏井いつきと壇蜜の 新しい日常×俳句

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月 6日(月)12時09分57秒 softbank126015246247.bbtec.net
返信・引用
  「新しい日常」をテーマに募集した俳句。その放送日時が決まりました。

http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-07-09&ch=31&eid=15194&f=etc

7月9日(木)Eテレ午後10時30分~50分

再放送:7月12日(日)午前1時20分~40分(深夜)

お見逃しなく!


 

百年俳句賞の募集が始まりました

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月 3日(金)11時53分4秒 softbank060071158071.bbtec.net
返信・引用
  マルコボ.コムの「」百年俳句賞、募集が始まっています。

新作、既発表を問わず50句。
応募は無料。

詳細はこちらから。

https://www.marukobo.com/50ku/index.html

 

こんなサイト見つけました

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 7月 1日(水)20時19分19秒 softbank126015043132.bbtec.net
返信・引用
  蜂谷一人さんの【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア】。

https://jhaiku.com/haikudaigaku/archives/229


 

フルポン村上の俳句修行@初のリモート句会

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 6月19日(金)11時25分11秒 softbank126015133148.bbtec.net
返信・引用
  住んでいる場所に縛られず、簡単に繋がれるリモート句会。

当日の詳しい様子はこちらから。

https://book.asahi.com/article/13461660

 

「新しい日常」の俳句募集

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 6月13日(土)20時15分24秒 softbank126012106035.bbtec.net
返信・引用
  Eテレ「俳句王国」で、「新しい生活様式」、リモートワークやソーシャルディスタンス、遊び方など、変化した生活での「発見」をテーマに俳句を募集、「家での発見!」と合わせて組長と壇蜜さんで選句し、放送します。

https://www.nhk.jp/p/haiku/ts/NRNLJP9JV1/

締め切りは6月21日(日)

放送は7月9日(木)22:30~22:50

 

575でカガク!

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 6月11日(木)22時41分32秒 softbank126015171223.bbtec.net
返信・引用 編集済
  Eテレ「575でカガク!」、今回募集する俳句は「反物質」と「ミトコンドリア」。

https://www.nhk.jp/p/575kagaku/ts/Q8KPRK7VWX/


反物質ってなに?

https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8F%8D%E7%89%A9%E8%B3%AA%E3%81%A8%E3%81%AF&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&mfb=P057&ts=12089&aq=0&oq=%E5%8F%8D%E7%89%A9%E8%B3%AA&at=s&ai=9aou0_8NRra5eavTl0PIcA


ミトコンドリアってなに?

https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%A8%E3%81%AF&x=wrt&aq=-1&ai=EoS7cl3HQdGvupi6RsJsDA&ts=17620&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&mfb=P057


締め切りと放送は、

反物質:8月2日(日)締め切り  9月20日(日)23:30~

ミトコンドリア:8月23日(日)締め切り  9月27日(日)23:30~


レッツ・チャレンジ!

 

青空文庫で読める、俳論、句集

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 6月10日(水)14時22分30秒 softbank126015091010.bbtec.net
返信・引用 編集済
  ネットで無料で読める青空文庫。
ここの「詩歌」の分野に、子規や虚子だけでなく山頭火や富澤赤黄男、芝不器男、松本たかし、杉田久女、寺田寅彦などの句集や俳論がたくさん収録されています。

http://yozora.main.jp/9/1/ndc911.html

俳句をいきなり作るのではなく、作る前にこれらを少し読むだけで、何をどう詠めば報告ではない句、新鮮な角度からの句、発見の句になるのか、そのヒントが得られるような気がしています。

心の動いた方は、是非一度ご覧になってみてください。
 

有名俳人たちの20代の句

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 5月29日(金)12時14分43秒 softbank126015154176.bbtec.net
返信・引用
  俳句を探していたら、偶々見つけました。

正岡子規から夏石番矢まで、「栴檀は双葉より芳し」で、20代にして早や代表句を詠んでいます。

http://haikusya.55street.net/ne.html

 

俳句王国

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 5月22日(金)11時37分41秒 softbank126015241100.bbtec.net
返信・引用
  5月24日Eテレ午後2:30~3:13、今回は「名場面&家での発見!スペシャル」です。

https://www.nhk.jp/p/haiku/ts/NRNLJP9JV1/episode/te/13PPWQZ217/

 

フルポン村上の選句修行2結果発表&Zoom句会のお知らせ

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 5月15日(金)12時24分23秒 softbank126015099020.bbtec.net
返信・引用
  坊城さん、村上さんの入選、特選の皆さんの中に、ハイポニストがいっぱい!
選ばれた皆さん、おめでとうございます!

https://book.asahi.com/article/13372872

これを機会に村上さんがZoom句会を企画。
詳細はこちらから。

https://book.asahi.com/article/13369690


 

悪口毒舌俳句

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 5月 7日(木)23時10分16秒 softbank126015071095.bbtec.net
返信・引用 編集済
  発見!
いつもお世話になっている「575筆まか勢」に、こんなコーナーがあったとは!
組長も「悪態句集」を出されましたが、こんなときこそ、読むとストレス発散請け合いの句の数々です!

 https://fudemaka57.exblog.jp/29051178/

一例をちらっと

 かの毒舌準備中なり葉桜まで  岸本マチ子

 ショウリョウバッタ口きくならば減らず口  高澤良一

 悪口は舌が言はせし鵙の贄  中原道夫

 悪口を山盛りにする竹の椀  大西泰世

 外套にかくし持つたる捨て台詞  上田五千石


 

何をどう詠めば俳句になるのか

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 5月 7日(木)00時35分24秒 softbank126010207177.bbtec.net
返信・引用
  今、大輪靖宏さんの『花鳥諷詠の論』(南窓社)を読んでいるのですが、その中で心に留まったところをランダムに要約しておすそ分け。


・花鳥諷詠というのは、花や鳥のような美しいものだけを詠むという意味でないことは当然である。花や鳥によって代表される自然界のすべてを句作の対象とするという意味である。芭蕉の句に、「蚤虱馬の尿する枕もと」という句があるが、蚤や虱、馬の小便も、当然、花鳥の中に含まれる。蚤や虱、さらには馬の小便にまで芸術的感興をかきたてられることが、俳句芸術の上では重要ということなのだ。

・俳句において重要なことは自然を詠むということであり、そのためには私たちの周辺にあるすべてのものを句の素材にしなければならない。芭蕉は『笈の小文』において「見るところ花にあらずといふことなし。思ふところ月にあらざるといふことなし。」と言っている。これは目に触れた物すべて、心に留めた物すべて、つまり身の回りのすべてに美を見出し、それを句の素材とするということである。

・見たもの、心に触れたもの、すべてに美を見出すということは、蚤や虱、馬の小便はもちろんのことだが、食べ物、生活用品、卑俗な人々、性的な事柄、物質的欲望、金銭、道端の雑草など、普通なら文学の素材にならないものにも美を見出し、積極的に句の素材にしていくということである。花鳥諷詠に携わる者は、すべてに美を見出し、すべてを俳句の素材とすることが日常とならなければいけないのだ。

・俳句において新しさを求めるというのは、伝統を破壊したり、無視することではない。私たちの先輩が育て上げ、大切に残してくれた語の感覚を生かし、それを利用して、自分の感じ取った世界を新たな角度から表現するのである。

・俳句は自然そのものだけでなく、自然に接した感慨も含む。自然に接したときに抱く人間の感慨も、広く言えば自然の一部だからである。

・深淵なる哲学思想を俳句で示そうと、観念が先にたって句が作られるのはよくない。大自然は存在するだけで、何の注釈も自身は示さずに、多大の感動、感慨を私たちに与えてくれる。句の意図するところを自分で説明しているような俳句ほど興醒めなものはない。

・俳句において、「写生」ということが言われるが、これは、在る物をあるがままに取り出して読者に示すことである。自分はこう感じたという注釈をほどこして句に仕立てあげるのではない。しかし、また「机の上に本があります」というごとく、どうでもよいことを平板に語るのも写生ではない。写生というのは、存在するものの本質を掴みだし、読者の心に、本質に触れた感動を呼び起こすものでなければならない。

・写生とは、「私意を離れ」、ひたすら対象に自己を没入し、対象の有する微のすべてを感じ取ること。対象を本質において捉えると、句は「おのずからなる」句となる。この態度を貫けば、こういうことを述べようという下心から対象を見たり、共感を呼ばないような特殊な見方をしたり、ありふれた表面的な把握をしたりというようなことはなくなる。

・自然界の思いがけないところに美を見出し、普通の人ならば見過ごしてしまうであろうようなものに感動する、身近な場所のありふれたものに美を見出すことができたということは、いかなる所であれ、どんなものであれ、美を見いだせるということである。大切なのはそういう作者の精神的な姿勢、心の余裕である。

・物事の本質に触れると目を見開かされるような思いをする。芭蕉には物の本質を掴みとった句が多い。芭蕉は常に物事を本質で捉えようとしていた。何かを句に取り上げるとき、表面的なところで捉えたりせず、秋風なら秋風を見詰め続け、その本質を理解した上で、それを句にした。だから、芭蕉の句は、私たちにしばしば既成観念の変更を迫る。こうした感動が芭蕉の句を忘れ難いものにするのである。

・ただここで気を付けなければならないことは、、既成観念の変更といっても奇をてらって、あえて人と違う見方をする方へ進んではならないということだ。対象を人の意表を突く見方で捉え、人を驚かすのは、いかにも才気に満ちたことのように思われるが、それではますます本質から遠ざかる。これは対象を歪めて見ているのであって、皮相的、一面的な見方すらしていないことになってしまうのだ。

・本質を掴むというのは、大変に真摯な努力を必要とする。芭蕉はこういう努力をし続けた人だ。芭蕉は句の中の素材を常に本質に沿った使い方をしようと努めている。芭蕉の句が強く訴える力を持っているのは、対象の本質を正確に掴みとり、それを句の中に生かして使うという姿勢、努力の上に成り立っているからである。

・文学と自然科学とは違う。自然科学ではこんな事実があったということが大切であろうが、文学では対象の真実の姿を描き出すことが大切なのだ。文学では事実より真実を描かなくてはならないのである。写生とは、瞬間的に見たものを、そのままに述べることではない。対象の真実の姿を見極めて、その本質を表現することなのである。

・説明と表現とは全く別のものである。俳句には、対象を厳密に捉えた的確な描写が必要である。物事についての新鮮な角度からの把握と、それを的確な言葉で表現すること、それによってこそ、私たちが既に持っていた知識、概念を訂正する新しい発見を提示できる。

・対象の本質的な姿を把握し、それを的確に表現し得たとき、俳句は文学になる。


 

頭の中で作った俳句

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 5月 3日(日)18時53分12秒 softbank126019118117.bbtec.net
返信・引用
  「頭の中で作った俳句」と題する現代俳句協会青年部の企画、とても面白いので是非ご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=3U_-o7CeGKg&feature=youtu.be

 

天才てれびくんhello

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 5月 1日(金)00時39分9秒 softbank126015209163.bbtec.net
返信・引用
  5月4日と5日の午後6:20~午後6:45(25分)、Eテレ「天才てれびくんhello」に俳句仮面が、5日は組長も出演。

https://www.nhk.jp/p/tvkun/ts/69289L6K8G/schedule/

是非ご覧ください!

 

マルコボ句集公開中

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月26日(日)13時24分28秒 softbank126015080076.bbtec.net
返信・引用
  マルコボ.コムのHPで、同社で発行した神野紗希さんや鈴木牛後さん、杉山久子さん、岡田一実さんなどの句集を公開しています。

http://info.marukobo.com/?eid=804380

みずみずしい発想に触れて、俳句の審美眼を鍛えてみませんか。

 

夏井いつき 俳句チャンネル&ツイッターデビュー

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月23日(木)22時47分49秒 softbank060148099230.bbtec.net
返信・引用 編集済
  組長ブログでもうご存知と思いますが、組長が初心者の質問に答えるYouTube「夏井いつき 俳句チャンネル」を始めました。

https://www.youtube.com/watch?v=j_Rqxis9NMk


初歩的なものから、いまさら訊けないというものまで、俳句に関する疑問・質問を絶賛大募集中!

この機会にチャンネル登録して、YouTubeの画面下のコメント欄に是非書きこんでみてくださいね。

お、いま発見!

ついに組長もツイッターデビューしました!

https://twitter.com/natsui_haiku

すでにフォロワー1500人超え!

YouTubeも再生数50000超えです!

すごい!






 

鰻について

 投稿者:わこたんまま  投稿日:2020年 4月16日(木)01時17分26秒 UQ036011225160.au-net.ne.jp
返信・引用
  「鰻」火曜日への投稿がタイムアウトに。この本をご覧くださいっておおざっぱな投稿をしていましたが、今誰しも図書館や書店に行ける状況でなくなっているので、投稿し直していたら、まとまらず間に合いませんでした。掲載お願い致します。

角川文庫『うなぎと日本人』(日本ペンクラブ編)によれば、鰻が美味しく食べられるようになったのは、室町時代に醤油が使われだしてからのようで、大伴家持が「武奈技(むなぎ)とりめせ」と、万葉集に歌を詠んだ頃は下魚という認識だった。土用丑に栄養価の高いものを薬食いする風習は平安時代よりあったが、適した調味料の登場まで、油っこい鰻は美味ではないと思われていた。
また、鰻といえば蒲焼きだが、鰻を割いて焼くことは、寛政7(1795)の『万宝料理秘密箱』あたりまで目に入らず、『大草家料理書』(17世紀前半か)に「うなぎ膾なます 宇治丸かばやき 丸にあぶりて後に切る」とあり、また『料理物語』(1643)「うなぎ白やきにして青すにてよし」とあり、丸のまま串焼きにしていた。鰻の蒲焼きの由来が、蒲の穂の形状に見立てたとする説は、これらの文献から見て妥当である。宇治川の鰻は「宇治丸」と呼ばれ名物であったことが、黒川道祐『雍州府志(ようしゅうふし)』(貞享3年1686年)の記六鰻驪魚条下「宇治丸」などにみられる。
(注。「驪」は魚篇です。文字化けしそう。「驪」だと黒いという意味。旁の「麗」はまっすぐ並べるの義で、「鰻驪魚」という表記は、黒く、細長く、美味しい鰻にぴったりだと思います。流布してほしい。)
『和漢三才図会略』正徳2(1712)寺島良安 に「馥焼(カバヤキ)」として、現代の蒲焼きの祖型が見られる。正徳4年(1714)まで生きた貝原益軒は新式の蒲焼を賞味したことが確実視される。
式亭三馬(1776~1822年2月27日
)の『浮世風呂』に「山の芋変じて鰻となる」とある。鰻の価値上昇。
『江戸買物独案内』(1824)土用鰻の発案者と言われる平賀源内没50年後、大田南畝死の翌年、神田和泉橋通の鰻屋、春木屋善兵衛が「丑ノ日元祖」の看板を掲げている。
蒲焼きの手法が、割きかたなど東西で異なる点でも、江戸風の「蒸し」は『遊暦雑記』文政9 (1826)から推察されるに、江戸時代後期まで江戸市中には普及していなかった。
林望氏によると、鰻は近代まで、季語としては認識されていなかった。「毛吹草」などの季寄せにない。

ざっくり以上で、芭蕉や蕪村は「鰻」をどう認識していたか、食べたかどうか気になりました。Wikipediaによると、鰻は江戸開発に伴い大量にとれて消費され、寿司より前に「江戸前」と呼ばれたとのこと。神田川の土木監督をしていた芭蕉は、鰻は人足の食べ物という認識だったかも。食べたかもしれないけど、当時まだ鰻は割かずに丸焼きだった。蕪村は、京風の蒲焼きを食べたかもしれません。梅を愛した蕪村、食い合わせはしなかったかな?

芭蕉は寛永21年(正保元年)(1644)- 元禄7年10月12日(1694年11月28日)の人。

蕪村は享保元年(1716)-?天明3年12月25日(1784年1月17日)です。
 

Re: 思考を止めてはいけない!

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月14日(火)23時50分52秒 softbank060148107214.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > 「真実を追求することを諦めない」というのが俳人として必要な姿勢だと、私は今こそ信じたいと思っています。


俳句を作っていると、自ずから自然に親しむようになりますが、親しめば親しむほど、同時に深く観察するようになります。

そして観察をすればするほど、虫や魚や花や動物などが、決して人間より劣った存在ではなく、むしろ人間には及びもつかない深い叡智をもって生き延びてきたこと、そして自然界のバランスを壊さない仕方で食べ、無用な殺戮を行わず、今もそうやって慎ましく生きていることに気付きます。

むかしの日本人は、そのような動植物を八百万の神の一員と見做し、尊重し、人間と同等の敬意と配慮を払ってきました。

明治維新以後、欧米の文物、文化、思想とともに、西洋的な人間中心主義、人間優位の自然観が入ってきて、日本人の自然観もその影響を受けるようになりました。

西洋的自然観の結果として、後先考えずに戦争をし、大量破壊兵器を開発し、自然界のバランスそっちのけで収奪し、むやみやたらに農薬や殺虫剤を撒いては多くの種を絶滅に追いやってきました。

生きる上で必要不可欠とは言えない物を、自然に取り返しのつかないダメージを与えてでも、金儲けのためならと作り続けてきました。

100年前のスペイン風邪の大流行からも、カミュの『ペスト』に描かれた、当時の享楽的で金銭本位の生き方からも学ばず、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、同じ過ちを繰り返し続ける人間たち、そう動植物たちは思っているかもしれません。

もし私たちが、このような西洋的自然観に汚染されたまま、直接的、間接的に自然破壊に手を貸し、金儲け第一で、自然保護に無関心なまま俳句を作っているとしたら、これほど自己矛盾したことはないのではないでしょうか。

生物学者の福岡伸一さんは生命現象を「動的平衡」と捉え、全ての存在は食物を通し、水や空気を通し、分子レベルで情報をやり取りし、コミュニケーションしているので、単純な因果関係では捉えられないほど、緊密に結びついていると言います。

https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=205&&iref=pc_extlink

経済拡大と自然保護は両立しません。
近年2、3年おきに大流行する新型ウイルスも、地球の生態系という大きな命の崩れたバランス、それを経済を縮小する方向で元に戻そうとする、必死の揺り戻し現象の現れなのではないか、そんな気が私はしています。







 

思考を止めてはいけない!

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2020年 4月14日(火)00時17分20秒 sp49-104-19-67.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
   比々きさん、比良山さん、皆様こんばんは。

 俳句とは直接関係ありませんが、ちょっとした宣伝をさせて下さい。先日、ブログにて初めてSF短編小説に挑戦してみました(汗)。

https://stand16.hatenablog.com/entry/2020/03/23/191711
https://stand16.hatenablog.com/entry/2020/03/25/185629

 SFといっても大層なものではなく、有名な特撮作品「ウルトラセブン」の二次小説です。ただこの元ネタは、金城哲夫氏という同郷の脚本家の方が作った『ノンマルトの使者』という話で、沖縄の人間にとっては無視できない内容です。

 この話を自分なりに解釈し、「自分だけの正義を振りかざすことで、お互いに憎しみ傷つけ合う」ということをテーマに、小説を書いてみました。

……前置きが長くなりました。

 前回も少し触れたように、世界中が今大変なことになっています。メディアも政治家も、多くの人が「この国難をみんなで乗り越えよう」と呼び掛けています。

 しかし……言葉とは裏腹に、世の中全体がギスギスしているのが、ある意味でウイルス以上に怖いなと思っています。

 ウイルス感染を防ぐため、対策が必要なのは分かります。ただメディアの報じ方や、ネット関係に目を通してみますと、まるで異論に対して(例えば「むやみに検査すべきでない」「日本の医療は頑張っている」)、罵倒にも近い言葉を浴びせている。

 私は医療関係者ではありませんから、どの意見が正しいのかなんて分かりません。しかし、異論に対してきちんと反論するのではなく、最初から拒絶するような態度では、より良い道を探っていくということができません。まるで戦時中の空気にも思えて、これは正直マズイ空気だなと感じます。

 前述の金城氏の脚本では、地球人も(敵の)ノンマルトも相手の主張をまったく聞かず、それぞれの正義を振りかざして戦い、両者に遺恨が残ったというラストでした。金城氏が沖縄出身ということもあり、ややイデオロギー的に利用されがちな内容なのですが、彼はもっと根本的な人間の性というものを、この話に込めたのではないかと思います。

 とにかく……今だからこそ、思考を止めてはいけない。

 現時点では、何が正しいのかなんて分かりません。しかし「真実を追求することを諦めない」というのが俳人として必要な姿勢だと、私は今こそ信じたいと思っています。


 追記。比々きさんの返信コメントを参考に、俳句ポストの兼題「鰻」の一物仕立てに挑戦中です。やはり根気のいる作業ですが、なんとか一つでも発見を句にしたいです。

https://stand16.hatenablog.com/

 

Re: 俳句の五段とばし

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 4月12日(日)19時59分31秒 sp49-98-51-39.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  > 今日のNHK俳句、観られましたか?
>
> 司会の武井壮さんには「俳句さく咲く!」で以前から注目していましたが、今月から対馬康子さんと組んで、とても勘のいいやり取りをされていらっしゃいました。
> 今までのコンビの中でも、最強のコンビの一つかもしれません。
>
> さてその中で取り上げられていたのが、「俳句の五段とばし」。
> 俳句の発想の飛ばし方が分からなかった人必見の、対馬流「詩の作り方」の極意伝授です。
>
> 原句という芋虫が徐々に脱皮してメタモルフォーゼし、美しい詩の蝶として羽ばたいていく、、、
> 俳句を単なる叙景で終わらせず、「心の景色」に変える、そのやり方が「五段とばし」。
>
> 具体的にどうやるかは下記で。
>
>
> ①原句
>
>  幼子の春の小さな赤い靴
>
> ②表現を整える
>
>  幼子のハミング赤き春の靴
>
> ③設定を広げる
>
>  赤き靴見知らぬ街を春一日
>
> ④違うものと取り合わせる
>
>  春の日の聖水こぼれ赤き靴
>
> ⑤見えない世界へ
>
>  火は水に運ばれてゆく春の靴
>
>
> 武井さんの原句は③からスタート
>
> ③設定を広げる
>
>  初蝶や一頁目をかたく折り
>
> ④違うものと取り合わせる
>
>  初蝶やいのりの拳かたく折り
>
> ⑤見えない世界へ
>
>  陽炎の一頁目をかたく折る
>
>
>
> これなら比良山さんも人選常連を目指せるのでは!
> 期待しています!
>
比々きさん。お励ましありがとうございます。なんだかプレッシャを感じています。
今日の放送、私も見ました。対馬先生がこのような取り組みをされるとは4月号のテキストには一切記載がなかったので私も驚きました。

今の私にはせいぜい③までできれば良い方でしょう。④は取り合わせをいろいろ変えてみるということでしょうが、⑤にいたっては見えない世界ということで私にとっては未知の世界です。単なる物の情景から心の情景へ展開するということですが、ここまでの訓練はやったことがありません。
とにかくこれからはこの①から⑤までの五段階飛ばしのステップの句作りを意識してやってみます。
俳句ポスト「鰻」から開始ですが、目下①に苦労していますが原句ができなくては始まりませんのでとにかく頑張ってやってみます(汗)。
 

俳句の五段とばし

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月12日(日)14時42分8秒 softbank060071182084.bbtec.net
返信・引用
  今日のNHK俳句、観られましたか?

司会の武井壮さんには「俳句さく咲く!」で以前から注目していましたが、今月から対馬康子さんと組んで、とても勘のいいやり取りをされていらっしゃいました。
今までのコンビの中でも、最強のコンビの一つかもしれません。

さてその中で取り上げられていたのが、「俳句の五段とばし」。
俳句の発想の飛ばし方が分からなかった人必見の、対馬流「詩の作り方」の極意伝授です。

原句という芋虫が徐々に脱皮してメタモルフォーゼし、美しい詩の蝶として羽ばたいていく、、、
俳句を単なる叙景で終わらせず、「心の景色」に変える、そのやり方が「五段とばし」。

具体的にどうやるかは下記で。


①原句

 幼子の春の小さな赤い靴

②表現を整える

 幼子のハミング赤き春の靴

③設定を広げる

 赤き靴見知らぬ街を春一日

④違うものと取り合わせる

 春の日の聖水こぼれ赤き靴

⑤見えない世界へ

 火は水に運ばれてゆく春の靴


武井さんの原句は③からスタート

③設定を広げる

 初蝶や一頁目をかたく折り

④違うものと取り合わせる

 初蝶やいのりの拳かたく折り

⑤見えない世界へ

 陽炎の一頁目をかたく折る



これなら比良山さんも人選常連を目指せるのでは!
期待しています!


 

最上の句とは

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 4月12日(日)11時08分25秒 sp49-104-17-128.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
   比々きさん、南風の記憶さん、皆さんこんにちは。今、丁度「俳句に生かす至言」の●最上の句とはを読んでいました。取り合わせの句と一物仕立ての句について

発句は、頭(かしら)よりすらすらと謂ひくだし来るを上品(じやうぼん)とす。
松尾芭蕉(『去来抄』)

取り合わせの仕方によっては技巧が目についてしまうこともあるし、不自然さが生じることもあり、また、安易な作り方に堕する可能性もある。それゆえ、芭蕉としては、俳句における取り合わせの大切さを重々感じながらも、「頭よりすらすらと謂ひくだし」た句を、より高度の句と考えていたのだろう。

とあります。

例句として

流れ行く大根の葉の早さから  高浜虚子
カラヤンの生家見つけもして立夏 稲畑廣太郎
我庭の良夜の薄湧く如し    松本たかし
秋深きことにこと寄せ話すかな 星野立子

が掲載され

「頭よりすらすらと謂ひくだ」すことは、平板になる可能性もあり、誰でも簡単にできるという方法ではない。しかし普通のことを言っただけのようでありながら、句意が読者の心に素直に入る作品となるのだから、俳句の作り方としては究極の方法だろう。

とあります。

私の今のレベルとしては例句のような句の鑑賞力をまず磨かないととても平板でない一物仕立ての句を作る自信はまだありません。しかし究極の目標として常にチャレンジしてみたいとは思っています。

それにしても俳句ポスト「ボートレース」の天、地の御句はみなさん見事にこれをやってのけておられるようですね。南風の記憶さんが目指されるのもよく分かります。頑張って下さい。
私はまず並と人のいったりきたりから脱却しなくては(笑)(涙)。
 

Re: 課題があるからこそ・・・

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月11日(土)19時13分57秒 softbank126065158039.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.5361[元記事へ]

>  この観察眼を磨くことが、今の自分の課題だと思っていて、カタログハウス兼題「梅」辺りから、しばらく遠ざかっていた“一物仕立て”に再チャレンジしています。


芭蕉は「発句は物を合はすれば出来(しゅったい)せり。その能(よ)く取り合はするを上手と言ひ、悪しきを下手と言ふ。」と、二物配合の「取り合わせ」を奨励しましたが、一方で「発句は、頭よりすらすらと謂ひくだし来るを上品(じょうぼん)とす。」(『去来抄』)と述べて、「一物仕立て」の句の方が、句としては上等だと言っていますね。

なぜ「取り合わせ」は「一物仕立て」に劣るのか、その理由を虚子も『俳句の作りやう』の「二」で、次のように述べています。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001310/files/55510_51028.html

《この配合法の得は陳腐、平凡を避けやすいという点にあります。しかしながらその弊は身に沁しみ込むような趣の深い句はどうしてもできにくいという点にあります。》


おそらく「取り合わせ」には、物事の「本質」が見えてくるまで「じっと眺め入る」「観察」し続ける、その根気と努力が無くても作れてしまう、そこに問題があり、どうしても表面的で底の浅い句になってしまう。

言い換えれば、物事の「本質」を掴もうという意欲、「探求心」が無くても、それなりに形だけは俳句らしい俳句を作れてしまう、そこが罠なんだということだと思います。


虚子は続けて(三)で次のように述べています。

《芭蕉の弟子のうちでも許六きょりくという人は配合に重きを置いた人で、題に執着しないで、何でも配合物を見出してきて、それをその題にくっつける、という説を主張していることは前章に述べた通りでありますが、それと全然反対なのは去来きょらいであります。去来は配合などには重きを置かず、ある題の趣に深く深く考え入って、執着に執着を重ねて、その題の意味の中核を捕えてこねばやまぬという句作法を取ったようであります。
 この後者の句作法の方をさらに二つに分けてみることができます。その一は目で見る方で、

じっと眺め入ること
であります。その二は、心で考える方で、

じっと案じ入ること
であります。》


そして「じっと眺め入ること」の目的についてもこう書かれています。


《じっとものに眺め入って、今まで人の気のつかなかったあるものを捕えてこよう――発見してこよう――とする点には似寄った努力が費やされるのであります。》

《我等は精神を一所に集中して、じっとその薔薇と睨にらめっくらをしていることによって、文学上の新発見をすることができるのであります。》


「取り合わせ」は「発見」が無くても作れる。
「一物仕立て」は「発見」が無ければ作れない。

この「心の働き」が「一物仕立て」を「取り合わせ」より優れたものとしているんですね。


「四 じっと案じる」では、この「心」がどんな心なのかについても書かれています。

《この人(去来)の俳句を見るといかにも愚鈍らしいところがみえます。愚鈍といったところで、むしろいい意味の愚鈍でいやに才走ったところは少しもなく、実直な、鈍重な風格を備えているのであります。
 近代人の句にはいかなる人の句にもこの鈍重の趣を欠いております。これは時代の相違もあることで、今の人に元禄時代の去来のような句を作れと言ったところでそれは無理かもしれませんが、しかしその鈍重の趣を欠く理由の一つにはこのじっと案じ入ることの修業が足りない点があります。》

《しかしいくら「じっと眺め入った」にしましても、去来のような落着いた沈んだ心の働きを有しておる人でなかったら、決してこういう重々しい調子の滑稽こっけい句はできないだろうと思います。去来は「じっと物に眺め入りながら、じっと物に案じ入った」人で、この海鼠の句を作るにつけても必ず深く海鼠の趣に案じ入って、海鼠の趣を丹田たんでんの下で考えて作ったものであろうと思います。》


「五」では、句作の態度についても、このように書かれています。

《 かりそめにも俳句を作る以上は古人のやらなかった境地に足を踏み入れなければ駄目だ、とこういう議論に私は反対いたしません。けれどもそれは初めただ一生懸命にやっているうちに、自分も予測しなかったほど心眼が明らかになってきて、今までほとんど意識せずにやってきたことがすでに古人の範疇はんちゅうを脱して、一境地をひらいておったというようなのがいいのでありまして、鈍根どんこんはいくらやるつもりでかかって何もできないで終るのであります。そうでありますから決して初めから大望を起こさずに、藤吉郎時代には必ずしも太閤たいこう様になる気ではなかったと同じように、おもむろに気永く修業する覚悟でやることが大切だと私は考えます。早く一機軸を出そうなどとしてあせることや、強いて人目に立つような新しい試みをしようとしたりすることが、決して本当の新境地をひらくゆえんではありません。急がず騒がず大道を歩いてゆく心がけが肝要であります。
 だと申してまた、弛緩しかんした心でいて、俳句は古くてもいいのだ、どうでも十七字さえ並べておれば進歩しなくてもいいのだというような暢気のんき過ぎた心持でいても困ったものであります。そういう心持でいては古人のやらなかった境地に足を踏み入れるどころか、とても句に興味を見出すことすらできないだろうと思います。ただ前条に私の申したことは、そういう弛緩した心持でいよというのではなく、はじめから個人性の発揮されたものでなけりゃならぬとか、斬新ざんしんなものでなけりゃならぬとか、そういう無理な注文をして奇怪な句を作るようなことをせず、おもむろに、確実に、その人相応の力をこめて、沈着な心持で、急がず騒がず勉強することをすすめるのであります。そうすれば個人性は出すまいとしても自然に出ます。清新な句ももとめずともできます。ゆめゆめ近道をしようとして荊棘けいきょくにひっかかることをしてはなりません。》


「七 古い句を読むこと 新しい句を作ること」も必読。
長いので引用は控えますが、是非読んでいただきたい一文です。


>  さて、世の中が大変なことになっています。皆様の心身の健康と安全を、心からお祈りいたします。歴史に残る事態ですが、人間がそんなに弱くないことは、それこそ歴史が証明しています。人間の力を、今こそ信じたいと私は思っています。


戦時中、日本だけでなく世界のいたるところが空襲で、一瞬にして焼け野原にされてしまいました。
世界中のほとんどの人が、戦火で愛する身内を亡くしました。
それでもしぶとく生き残り、復興してきました。
ペスト然り、スペイン風邪然り、エボラ出血熱然り。

災害は、大事なものを忘れた頃にやってきて、そして人の意識を変えていく。
「災い転じて福となす」!
それに私は期待したいと思います。




 

課題があるからこそ・・・

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2020年 4月11日(土)16時13分7秒 sp49-106-204-65.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
   比々きさん、比良山さん、皆様こんにちは。

 昨日、俳句ポスト兼題「ボートレース」の天・地の発表がありました。やはりどの句も、観察眼がずば抜けています。率直に、素晴らしいの一言しかありません。

 この観察眼を磨くことが、今の自分の課題だと思っていて、カタログハウス兼題「梅」辺りから、しばらく遠ざかっていた“一物仕立て”に再チャレンジしています。

 最近思うのですが、こうして自分の課題がはっきり分かるからこそ、モチベーションを高めることができます。目の前の課題を一つクリアすれば、また違う俳句の世界が広がる。壁があるからこそ、乗り越えることで自分の成長を実感できる。

……その壁は、だんだん高くなっていくのですが(汗)。

 さて、世の中が大変なことになっています。皆様の心身の健康と安全を、心からお祈りいたします。歴史に残る事態ですが、人間がそんなに弱くないことは、それこそ歴史が証明しています。人間の力を、今こそ信じたいと私は思っています。

https://stand16.hatenablog.com/

 

フルポン村上の俳句修行@暫定句会

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月10日(金)21時06分31秒 softbank126065144062.bbtec.net
返信・引用 編集済
  今回は銀座で月一で開いている、上野葉月さん主宰の「暫定句会」へ。

お題は、「BL」をテーマに「院・雨・アル・南・筋」の詠み込み。
難易度高~い!

久しぶりに村上さん苦戦してます。

詳細は下記で。
https://book.asahi.com/article/13275747


村上さんの選句修行第二弾。
坊城俊樹さんとのW選です。
お題は「丸」と「遠足」。
締め切りは4月24日正午。
ツイッターからも、ツイッターのアカウントが無くても投稿できます。
詳細は下記で。

https://book.asahi.com/article/13284532



 

俳句に生かす至言

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 4月 4日(土)22時46分16秒 sp49-98-61-61.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
   比々きさん、南風の記憶さん、皆さん、
嬉しくて思わず書き込みました。
比々きさんからご紹介頂いた「俳句に生かす至言」が注文して2日以内で今届きました。中古ですが送料込みで定価2500円の半値以下で入手できました。
帯には「正岡子規も言うとおり、俳句は文学であり、芸術である。著者は、日本の古典芸術論からその精髄というべき名言を抄出して、俳句実作にいかに生かすべきかを作品に即しつつ的確に助言する。俳句の特質を日本文化の伝統のなかで追求した画期的な俳句芸術論」
とあり、本書の主な内容として
「新しみこそ、俳意確かに、言い尽くさず、最上の句とは、虚実皮膜の狭間、創る姿勢、師を越える、危うきに遊ぶ、字余りと調べ、表現の単純化、地名の雇用、俳句は取り合せ、写意と写生と、美のありどころ、懐かしく言い取る、絶景に向かって、直感の力、日ごろの工夫」
また、
至言発言者索引と四季別俳句索引もあり重宝だと思いました。先人の各至言とその解釈、そして関係する近代、現代の俳人の句が例として掲載かつ説明されているところ便利さも感じました。

高濱虚子の「俳句の作りやう」、「俳句とはどんなものか」「俳句への道」、寺田寅彦の「俳諧の本質概論」、正岡子規の「俳句の初歩」、「俳人蕪村」をかじってきた私としては最良の座右の書の一冊となりそうです。

また、眠れない日々が続きそうです(言い意味です(笑))
感じたことまた書き込みたいと思います。


 

RE:自分らしい句とは

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 4月 4日(土)19時39分4秒 sp49-98-61-61.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  >  私の考える「自分らしさ」とは、“ものの捉え方”です。


私に言わせれば、比良山さん「しか」見つけられないものを、比良山さん「しか」言わない仕方で表現する、ということ。


子らの吹く縦笛の音春ここに  比良山

職安の表示「スグソコ」寒椿  比良山


比良山さん、これが「自分らしいものの捉え方」。
ちゃんと解ってるじゃないですか!

自分は「どこに」春を感じたか?
「子らの吹く縦笛の音」に感じた。

その比良山さんが「感じたまま」が、そのまま素直に句になってますよね!

しかも、「子らの吹く縦笛の音」という「意外なもの」に、今まで誰も発見できなかった春を発見した!
『職安の表示「スグソコ」』と「寒椿」との「取り合わせ」にも、「えっ、こんなところに」という「意外性」がありますよね。

どっちも比良山さんの「心が動いた瞬間」が切り取られています。

まさに「意外性」こそが、「その人らしさ」。
他の誰とも違う「目の付け所」「感じ方」が、無印じゃなくて、「比良山」印のタグの付いた句!それを目指す!

でも、


蕨餅残りし黄粉如何せん  比良山

若狭鯖街道の蒸鰈かな  比良山


ここには、「蕨餅」→「黄粉」、「蒸鰈」→「若狭」という、「誰でも」連想しそうなことばかり。
全く「意外性」がない!
「比良山」印のタグがない!

「こんなこと俺【しか】気づかんだろうな」
「こんなこと俺【しか】思わんだろうな」
「こんなこと俺【しか】書かないだろうな」

蕪村の句は、まさにコレ!
「意外性」のオンパレード!

「自分らしい句」がどんな句か解りかけてる比良山さん。
「比良山」印のタグがしっかり付いた句、比良山さん以外の人が「思いつきそうもない」句を、これからぜひ期待したいです!

>比々きさん。私の句の成功例と失敗例の比較分析ありがとうございます。目から鱗です。
今振り替えって見ると成功した句は実体験、若しくは過去の記憶の何処かにある映像が瞬間的に浮かんでできた句です。失敗例ははっきりとした体験や記憶がないもの(鯖街道の句)、体験があっても自分の独自の視点で「じっと案じ入ること」が不十分であったもの(蕨餅の句)です。

改めてこうした分析の大切さを気づかせて頂きました。比々きさん、南風の記憶さん、感謝致します。ありがとうございました。
 

RE:自分らしい句とは

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 4月 4日(土)18時46分37秒 sp49-98-61-61.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  比々きさん、比良山さん、皆様こんにちは。

 比良山さんの書き込み、一通り読ませていただきました。僭越ながら、比良山さんは「自分らしさ」ということの捉え方が漠然としているように感じます。ここをもう少し明確にする必要があるのではないでしょうか。

 私の考える「自分らしさ」とは、“ものの捉え方”です。

>南風の記憶さん。懇切丁寧に分析いただきありがとうございます。
私はまだものに対して自分はどう捉えどう感じたかを表現することができていないとおもいます。材料を揃えてそれでおしまいになっているようです。自分の体重がかかっていない。もう一歩の詰めが足りない。感じることがまだできていない。自分の感性に自信がもてていない。


 たとえば……「赤」は、何の色でしょうか。ポスト、消防車、苺、血……実に様々なものが連想されますが、ここで“何を連想するか”ということこそ、「自分らしさ」だと私は思っています。ちなみに私は沖縄出身なので、焼失した首里城を連想します。

>この例を挙げていただいて少しわかったような気がします。

 以前の俳句ポストの兼題「重陽」では、この連想法がうまくハマりました。

 まず「重陽」→「菊の節句」→「菊の酒」と連想しました。ここまでは誰でもイメージすることですが、さらに私は「どんな酒だろう?」と考えたのです。沖縄の人間にとって酒といえば「泡盛」。そして私は、子供の頃に祖母から「魔除け」として泡盛を飲まされた(!)経験があり、また当時の私は理科室が大好きでした。

 ここまで材料がそろえば、あとは組み立てるだけです。

→重陽や泡盛は理科室のにほひ

>確かに私なら「菊の酒」で連想は終わっていたかもしれません。

 比良山さんの「蒸鰈」の句も、読ませていただきました。率直に「もったいない」と感じました。鯖街道のこと、私は知らなかったのです。材料は揃っているので、あとはもう少し料理すれば、十分「人」選に届いていたと思います。

 鯖街道って、どんな空気感なのでしょう。にぎやかなのですか? それとも静まり返っているのですか? その地に立った人しか分からない感覚があるはずなのです。
 「人」選入りできるかどうかはともかく(笑)、私も即興で詠んでみました。

→鯖街道いばって蒸鰈担ぐ


 繰り返しますが、自分らしい“ものの捉え方”という視点で、一句を詠んでみるという作業が必要なのかなと思いました。少しでも比良山さんの参考になりましたら幸いです。

>虚子さんの「じっと眺め入ること」「じっと案じ入ること」がまだまだ不十分で自分らしさを出すところまで達していないというところだと思います。
大いに参考になります。ありがとうございました。
 

Re: 自分らしい句とは

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月 4日(土)16時09分27秒 softbank126015095234.bbtec.net
返信・引用 編集済
  >  私の考える「自分らしさ」とは、“ものの捉え方”です。


私に言わせれば、比良山さん「しか」見つけられないものを、比良山さん「しか」言わない仕方で表現する、ということ。


子らの吹く縦笛の音春ここに  比良山

職安の表示「スグソコ」寒椿  比良山



比良山さん、これが「自分らしいものの捉え方」。
ちゃんと解ってるじゃないですか!

自分は「どこに」春を感じたか?
「子らの吹く縦笛の音」に感じた。

その比良山さんが「感じたまま」が、そのまま素直に句になってますよね!

しかも、「子らの吹く縦笛の音」という「意外なもの」に、今まで誰も発見できなかった春を発見した!
『職安の表示「スグソコ」』と「寒椿」との「取り合わせ」にも、「えっ、こんなところに」という「意外性」がありますよね。

どっちも比良山さんの「心が動いた瞬間」が切り取られています。

まさに「意外性」こそが、「その人らしさ」。
他の誰とも違う「目の付け所」「感じ方」が、無印じゃなくて、「比良山」印のタグの付いた句!それを目指す!


でも、


蕨餅残りし黄粉如何せん  比良山

若狭鯖街道の蒸鰈かな  比良山


ここには、「蕨餅」→「黄粉」、「蒸鰈」→「若狭」という、「誰でも」連想しそうなことばかり。
全く「意外性」がない!
「比良山」印のタグがない!

「こんなこと俺【しか】気づかんだろうな」
「こんなこと俺【しか】思わんだろうな」
「こんなこと俺【しか】書かないだろうな」

蕪村の句は、まさにコレ!
「意外性」のオンパレード!

「自分らしい句」がどんな句か解りかけてる比良山さん。
「比良山」印のタグがしっかり付いた句、比良山さん以外の人が「思いつきそうもない」句を、これからぜひ期待したいです!


 

自分らしい句とは

 投稿者:南風の記憶  投稿日:2020年 4月 4日(土)12時32分17秒 sp49-104-28-109.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  > No.5354[元記事へ]

 比々きさん、比良山さん、皆様こんにちは。

 比良山さんの書き込み、一通り読ませていただきました。僭越ながら、比良山さんは「自分らしさ」ということの捉え方が漠然としているように感じます。ここをもう少し明確にする必要があるのではないでしょうか。

 私の考える「自分らしさ」とは、“ものの捉え方”です。

 たとえば……「赤」は、何の色でしょうか。ポスト、消防車、苺、血……実に様々なものが連想されますが、ここで“何を連想するか”ということこそ、「自分らしさ」だと私は思っています。ちなみに私は沖縄出身なので、焼失した首里城を連想します。

 以前の俳句ポストの兼題「重陽」では、この連想法がうまくハマりました。

 まず「重陽」→「菊の節句」→「菊の酒」と連想しました。ここまでは誰でもイメージすることですが、さらに私は「どんな酒だろう?」と考えたのです。沖縄の人間にとって酒といえば「泡盛」。そして私は、子供の頃に祖母から「魔除け」として泡盛を飲まされた(!)経験があり、また当時の私は理科室が大好きでした。

 ここまで材料がそろえば、あとは組み立てるだけです。

→重陽や泡盛は理科室のにほひ


 比良山さんの「蒸鰈」の句も、読ませていただきました。率直に「もったいない」と感じました。鯖街道のこと、私は知らなかったのです。材料は揃っているので、あとはもう少し料理すれば、十分「人」選に届いていたと思います。

 鯖街道って、どんな空気感なのでしょう。にぎやかなのですか? それとも静まり返っているのですか? その地に立った人しか分からない感覚があるはずなのです。
 「人」選入りできるかどうかはともかく(笑)、私も即興で詠んでみました。

→鯖街道いばって蒸鰈担ぐ


 繰り返しますが、自分らしい“ものの捉え方”という視点で、一句を詠んでみるという作業が必要なのかなと思いました。少しでも比良山さんの参考になりましたら幸いです。

https://stand16.hatenablog.com/

 

Re: RE:「俳句にとって一番大事なこと」

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 4月 3日(金)14時29分41秒 sp49-96-4-22.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  > > 自分の感じたことを素直に詠むことが一番と思っているのですが、これがなかなか出て来ない。そんな時は時間を決めてとにかく多作してみる。そのうち一句でもふっと降りて来た句をつかまえるということでしょうか?
> > 焦ってこれなしに初めから先人の句の形や技法をそのまま真似て一句をこねくりまわすことは本末転倒だということと理解しましたが如何でしょうか。
>
>
> 安易にすぐ人に訊くのではなく、「探求心」をもって自分で答えを探す、その方がよっぽど身に付くと思いますが、いかがでしょうか?
>
> 訊いても、Aさんの言うこととBさんの言うことが違ったら、混乱するだけです。
>
> 下記にも書きましたが、俳人には「他に依存しない」独立独歩の「自恃の精神」が大事。
>
> おそらく芭蕉も、蕪村も、子規も、虚子も、組長も、皆そうやって自分の句風を見つけてきたのだと思いますよ。
>
失礼しました。
答えは自分で探すものでした。
肝に銘じます。

 

Re: RE:「俳句にとって一番大事なこと」

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月 3日(金)13時18分47秒 softbank126126192032.bbtec.net
返信・引用
  > No.5351[元記事へ]

> 自分の感じたことを素直に詠むことが一番と思っているのですが、これがなかなか出て来ない。そんな時は時間を決めてとにかく多作してみる。そのうち一句でもふっと降りて来た句をつかまえるということでしょうか?
> 焦ってこれなしに初めから先人の句の形や技法をそのまま真似て一句をこねくりまわすことは本末転倒だということと理解しましたが如何でしょうか。


安易にすぐ人に訊くのではなく、「探求心」をもって自分で答えを探す、その方がよっぽど身に付くと思いますが、いかがでしょうか?

訊いても、Aさんの言うこととBさんの言うことが違ったら、混乱するだけです。

下記にも書きましたが、俳人には「他に依存しない」独立独歩の「自恃の精神」が大事。

おそらく芭蕉も、蕪村も、子規も、虚子も、組長も、皆そうやって自分の句風を見つけてきたのだと思いますよ。
 

芸の精神・芸の目指すところ

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月 3日(金)11時09分44秒 softbank126015095234.bbtec.net
返信・引用 編集済
  「仏作って魂入れず」という言葉がありますが、俳句の良し悪しは、作品に籠められた作者の「精神」によって決まるのではないか、選者はもしかしたら、その「精神」を見分けることで良し悪しを判断しているのではないか、そんな気がしています。

私たちの俳句は「魂」の入らない形だけの「仏」になっていないか?

大輪さんの本を読んで一番感じたのはそこです。

どんな「魂」「精神」かというと、


・本質を見抜こうという真実探求の精神

・前例や常識に捉われない自由な精神

・権威の言うことを鵜呑みにしない批評精神

・果敢に冒険するチャレンジ精神

・新規開拓のパイオニア精神

・失敗を恐れない実験精神

・真実を大胆に語る幼子のような率直な精神

・他者の反応を怖れない自恃の精神


など、など。

芸の道は「守」→「破」→「離」と進んでいくべきで、いつまでも「守」に留まっていてはいけないもの。

師や先達の芸風は、踏襲する為ではなく、「超えるため」にあり、目標は誰にも似ない「自分独自」の芸風を確立すること。

「今まで誰も言わなかったことを、誰も言わなかった仕方で描く」こと。

なので、安全第一、保身、右顧左眄、無難、前例踏襲、人の反応ばかり気にするなどは、俳句という文「芸」の精神ではないということが言えます。

先の『俳句に生かす至言』にも、このように書かれています。

82p~
●己を信ず

「人は良くも言へ、悪くも言へ、承(う)け引き(※意味:聞き入れ)がたし。ただ、己に恥づ。」(大隈言道『こぞのちり』:歌論書)

自分の作品について他人が良く言おうが、悪く言おうが、自分は聞き入れない、自分はただ自分自身の下す批判に忠実でありたい。

参考程度に聞く分はいいが、自分の作品についての周囲の人々からの批判に耳を傾けすぎると、自分を見失ってしまう。
逆に、褒められるばかりで批判を得られないと、知らず知らずに慢心して、これまた自分を見失ってしまう。
結局頼れるのは自分だけ。自分自身が自分に対する最も冷徹な批判者でなければならない。

師の存在はありがたいが、ともすれば師の意見を弟子は絶対視しがち。結果、師の枠の中にいつも留まるような俳句ばかり作って、本当の意味で自分らしい句が作れなくなる。「自分の芸風」を作るうえで、時には師の存在が有害になることもあるのだ。

また仲間同士で批判し合っているうちに、周囲に受け入れられる句を意識し始めるようになる。そうなると、これまた仲間の存在が有害になる。

「冒険」した句は、批判を受けやすい。しかし俳句を進歩させる力となる。

86p~
●危うきに遊ぶ

「名人は危ふきところに遊ぶ。」(松尾芭蕉『俳諧問答』)

失敗したくないという心は下手の心であって、名人の心ではない。
失敗を恐れて堅実に句を作っていけば、失敗はしないで済むが、それに安住すると、進歩も飛躍もなく、いつも同じところに留まってしまう。芸術に携わる者は、常に新しい境地を求め、失敗を恐れず挑戦を続けていくことが必要である。挑戦の結果何が得られるのかなどと考えず、失敗の危険を冒しつつ、失敗し続けても挑戦し続ける、それが真の芸術家、名人のとる姿勢である。

 

RE:「俳句にとって一番大事なこと」

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 4月 3日(金)04時55分48秒 sp49-98-91-42.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  比々きさん。良書のご紹介ありがとうございます。
自分の感じたことを素直に詠むことが一番と思っているのですが、これがなかなか出て来ない。そんな時は時間を決めてとにかく多作してみる。そのうち一句でもふっと降りて来た句をつかまえるということでしょうか?

焦ってこれなしに初めから先人の句の形や技法をそのまま真似て一句をこねくりまわすことは本末転倒だということと理解しましたが如何でしょうか。
ご紹介頂いた書籍是非とも入手して熟読致します。
(コロナ騒ぎでアマゾンに嵌まり、中古で4/8に入手できそうです。(笑))
 

俳句にとって何が大事か

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 4月 2日(木)18時42分14秒 softbank126126192032.bbtec.net
返信・引用 編集済
  いま大輪靖宏さんの『俳句に生かす至言』(富士見書房)を読んでいるのですが、この本は是非皆さんにも一冊手元に置いて頂きたいと心から思うほど、俳句作者にとって、テクニックより、入選することより、はるかに大事なもの、俳人としての「魂」「精神」が書かれています。

芭蕉や歌人や当時の文芸に携わっていた人たちが、いったい何を目指して作句作歌していたのか、それは決して入選のためのノウハウ、表面的なテクニックではなかったこと、そこに意識が行くと、結果的に俳句の本道から逸れていってしまうことも警告されています。

一部抜粋要約しますので、もし心に感じるところがあったら、ぜひ手に入れてお読み頂けたらと思います。


92p
●真髄に学ぶ

 古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ。 松尾芭蕉(『許六離別の詞』)

芭蕉はこの言葉を「・・・と南山大師の筆の道にも見えたり」と続けている。
引用元となった弘法大師空海の『性霊集』の中の言葉は、次のようなもの。

「詩を作る者、古(いにしへ)の体(てい)を学ぶるをもて妙(たへ)とす。古の詩を写すをもてよしとせず。書も古の意(こころ)に擬(ぎ)するをもてよしとす。古の跡に似たるをもて巧みなりとせず。」

詩も書も古典に学ぶところがあるのは当然だが、学ばなければならないのは、古い詩の本質であり、古い書の精神である。外面的なものを真似てはいけない。

どの道にも多くの優れた先輩がおり、彼らから学ぶことは多々あるが、彼らを真似るだけでは何の意味もない。
彼らが何を求めてそういう作品を作ったのか、それを理解し、彼らが求めたものを自分も求めるようにしなければならないのだ。

120p~
●真の新しさとは

「総じて何事にても、珍しきことは、まず人びと好くものなれど、後は多分飽くものなり。芸も珍しからぬことを珍しく見ゆるやうにすべしとぞ。」(大蔵虎明『わらんべ草』:狂言の初の芸論)

俳句は短いので、新味を盛り込むのが難しい。そのために色々な試みを打ち出そうと躍起になっている人たちがいる。季語無用論を唱えたり、定型打破を唱えたり、あるいは俳句に思想性を持たせようとしたり、ことさらに珍奇な表現をしようとしたりする。そして、このような一見新しく感じられる試みは、しばしば喝采をもって迎えられる。新しいものは人の目にとまりやすく、いかにも素晴らしい才能の発揮のように感じられるからだ。

しかし、こうした試みは長続きしない。物珍しさの時期を過ぎてしまうと、陳腐な印象になってしまう。したがって、新しさを求める者は常に新しい試みをしなくてはいけなくなってしまう。結局、だんだんと本質から離れて、珍奇さを求めることだけが目的になってしまうのだ。

碧梧桐の新傾向俳句は当時の若者の熱烈な支持を受け、ある時期の碧梧桐は神のごとく尊敬されていた。しかし碧梧桐の新しさを求める試みはだんだんに無理を生じるようになり、やがてそれについていけない人たちや、反発する人たちが次第に彼から離れていき、ついには碧梧桐自身俳壇から引退してしまった。

本当の「新しさ」とは、時代を超えても「古くならないもの」である。

124p~
●多作の稽古

「初心のほどは無尽に稽古すべきなり。一夜百首、一日千首などの早歌をも詠みたり。また、五首二首を五日六日に案ずることもあるべきなり。かように駆け足を出だしたる歌をも詠み、手綱を控ふる歌をも詠みつれば、延促自在になりて、上手にもなるべきなり。初めより一首なりとも良き歌を詠まんとすれば、一首二首も詠まれず、つひに詠みあがることもなきなり。」(正徹『正徹物語』:歌論書)

初心のころはとにかく多作をする。それと共に少数の作品を日数をかけてじっくり作る。この両方をやれば、歌は上手になる。初めから一首だけでもいいから良い歌を作りたいという気持ちで作ると、一つか二つの歌さえも作ることができず、歌の上手になることができないままに終わってしまう。初めから、良い作品を一つという作り方をしたらいつまでも良い作品は作れないのである。

限られた時間にたくさんの作品を作るというのは、頭の中でこねくり回さないで作品を作るための大切な修業である。
たくさんの作品を一度に作ろうとしたら、いちいち頭の中で言葉を選んだり、言葉を置き換えている暇がない。目にしたもの、心に浮かんだことをそのままいうしか方法がない。その中にはいい加減なもの、間に合わせのものなども当然入ってくるが、一方、頭で考えていたのでは思い浮かばないような表現が無意識のうちに混ざってくることもあるのだ。そして、それがいままでの自分とは違う把握の仕方、表現の仕方、対象の本質を見抜いた新しい表現になっている可能性がある。限られた時間でたくさんの句を作れば圧倒的に駄作が多いが、だが一つでも二つでも、従来の自分に言えなかったような作品がそこに混ざっていれば、自分の境地を広げたことになるのだ。

「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中に言ひ留むべし」(芭蕉『三冊子』)

頭で考えてしまうと、ついつい既成概念で物や対象を捉えてしまう。そういう捉え方からは新しい文学は生まれない。直接的に感じ取ったことを、頭でこねくり回さずにさっと言うこと、感じ取ったことをただちに表現することが大切なのだ。

一度に百も二百も作ると、対象から感じ取ったものを「いまだ消えざる中に言い留」めざるを得ない。この態度が身につけば常に良い句ができるようになるのである。

限られた時間にたくさんの句を作るという試みをやってみると、何を見てもそのまま素直に句が生まれるようになってくる。芭蕉は「発句は、頭よりすらすらと謂ひくだし来るを上品(じょうぼん)とす」(『去来抄』)と言う。すらすらと素直に句ができるようになったら、上品(最上級)の句が常に作れるようになるのである。

164p
●修業の密度

「我は俳諧を仕習(しなら)ひてより、幾年(いくとせ)をかさねたりと指を数へて、それをのみ修業なりと思へる人は、心得違ひも侍らん。まことの道に心をよせずして、句の上のみ言ひて遊びたる作者は、たとひ幾年を経るとも、身の益とはならずや侍らん。」(上島鬼貫『独言』)

年数の多さを誇って、それを修業と思っている人は案外多い。俳句の道の本質的なところに心を寄せることなく、うまく句が作れるという表面上のことだけに心を砕いている作者は、たとえどれだけ年月を経たとしても、真の俳句というものが身につくことはない。



 

正岡子規「俳人蕪村」を読んで(その5)

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 3月30日(月)09時22分11秒 sp49-98-55-204.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  材料
(各句の訳は蕪村句集現代語訳付き、玉城司著から抜粋引用し、旧仮名遣いの句で分かりにくいものはできるだけ訳をつけました。)

 蕪村は狐狸怪を為すことを信じたるか、縦令信せざるもこの種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿『新花摘』は怪談を載すること多く、かつ彼の句にも狐狸を詠じたる者少からず。
(訳)蕪村は狐、狸が怪を為すこと信じていたのか、あるいは信じていなとしてもこの種の話を聞くことを好んでいたようで彼の自筆の草稿『新花摘』は怪談を載せることが多く、かつ彼の句にも狐狸を詠じたもの少なくない。

公達に狐ばけたり宵の春
飯盗む狐追ふ声や麦の春
狐火やいづこ河内の麦畠
麦秋や狐ののかぬ小百姓
秋の暮仏に化る狸かな
戸を叩く狸と秋を惜みけり

石を打(うつ)狐守(も)る夜の砧かな
(訳)火打石で火を打ち出す狐から家々を守る、夜半に打つ砧の音よ

蘭夕(らんゆうべ)狐のくれし奇楠(きゃら)を炊(たか)ん
(訳)蘭の香る秋の夕べ、狐がくれた伽羅を焚こう

小狐の何にむせけん小萩原
(訳)小狐が何にむせて鳴くのか、いちめん小萩の原。

小狐の隠れ顔なる野菊かな

狐火の燃えつくばかり枯尾花
(訳)狐火が燃え尽きてしまうかのような勢いだよ、波うつ薄。

草枯れて狐の飛脚通りけり
(訳)草が枯れてしまった野原、狐の飛脚が通過してゆく。

水仙に狐遊ぶや宵月夜

  怪異を詠みたる者。

化さうな傘かす寺の時雨かな

西の京にばけもの栖(すみ)て久しくあれ果てたる家ありけり今は其(その)さたなくて
(訳)西の京にばけものが住んで久しく、荒れはてた家があり今はその沙汰もなくて

春雨や人住みて煙壁を洩る

 狐狸にあらで幾何(いくばく)か怪異の聯想を起すべき動物を詠みたる者
(訳)狐、狸でなく或いは怪異の連想を起こす動物を詠んだもの

獺(おそ→かわうそ)の住む水も田に引く早苗かな

獺を打し翁も誘ふ田植かな

河童の恋する宿や夏の月

蝮(くちばみ)の鼾も合歓の葉陰かな
(略)

黄昏や萩に鼬(いたち)の高台寺

むささびの小鳥喰み居る枯野かな
(訳)むささびが小鳥を喰っている、荒涼たる枯野。注;むささびは草食性だから小鳥を喰うことはないが、「けだもの也」(はなひ草)と言われてきたことから生まれた空想句。

 この外犬鼠などの句多し。そは怪異といふにはあらねど此の如き動物を好んで材料に用ゐたるもその特色の一なり。
 州名国名など広き地名を多く用ゐたり。些細な事なれど蕪村以前にはこの例少かりしにや。
(訳)この他、犬、鼠などの句多い。それは怪異というものではないけれどこのような動物を好んで材料に用いたのもその特色の一つである。
 州名、国名など広く地名を多く用いた。子細なことだけれど蕪村以前にはこの例は少なかったようだ。

河内路や東風吹き送る巫女が袖
雉鳴くや草の武蔵の八平氏

三河なる八橋も近き田植かな
(訳)名高い三河の八橋も近くなってきた、田植のまっさかり。

揚州の津も見へそめて雲の峰
(訳)揚州※の港が見え始めてきた。張りつめていた気持ちが緩み、空を見上げると、雲の峰
※揚州;中国江蘇省南西部。揚子江を中心に漢代から栄えた。漢詩文(李白)の他絵手本などによって、繁栄する港町揚州をイメージしたか。中七「身へそめて」が句の眼目。旅人が遠路の緊張感から解放された瞬間、目に入った雲の峰に焦点をあて、大景をとらえた。

夏山や通ひなれたる若狭人
狐火やいづこ河内の麦畠
しののめや露を近江の麻畠
初汐や朝日の中に伊豆相模
大文字や近江の空もただならね
稲妻の一網打つや伊勢の海
紀路にも下りず夜を行く雁一つ
虫鳴くや河内通ひの小提灯

また長くなりましたので次回へ。
 

Re: 正岡子規「俳人蕪村」を読んで(その4)

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 3月29日(日)13時34分27秒 sp49-106-204-74.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  >
> 比良山さんは「旧仮名」の原文を、本からわざわざ書き写してくださってるようですが、時間がかかるだけでなく、旧仮名及び当時の書き言葉に慣れない私たちには、「注釈」が無ければ読み切るのが難しいように感じます。
>
> 読者が読みやすいように、もし書き写すなら「新仮名」で、可能なら蕪村の句以外、子規の注釈部分だけでも、比良山さんなりに「現代文」に訳してくだされば、書き手、読み手ともにより多くの益を受けると思うのですが、いかがでしょうか?
>
>
比々きさん。了解しました。私の配慮が足りませんでした。まずは原文に忠実に読んで味わおうと思いましたが、ここに掲載するのには確かに時間がかかってかえってご迷惑をおかけすることになってしまいました。これからは現代語訳のある句を選んで掲載することにします。
 

Re: 正岡子規「俳人蕪村」を読んで(その4)

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 3月29日(日)12時41分50秒 softbank126015023039.bbtec.net
返信・引用 編集済
  > No.5345[元記事へ]

青空文庫〈正岡子規〉に原文があります。

https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person305.html#sakuhin_list_1

旧仮名表記
https://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/57362_60228.html

新仮名表記
https://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/47985_41579.html

比良山さんは「旧仮名」の原文を、本からわざわざ書き写してくださってるようですが、時間がかかるだけでなく、旧仮名及び当時の書き言葉に慣れない私たちには、「注釈」が無ければ読み切るのが難しいように感じます。

読者が読みやすいように、もし書き写すなら「新仮名」で、可能なら蕪村の句以外、子規の注釈部分だけでも、比良山さんなりに「現代文」に訳してくだされば、書き手、読み手ともにより多くの益を受けると思うのですが、いかがでしょうか?

 

正岡子規「俳人蕪村」を読んで(その4)

 投稿者:比良山  投稿日:2020年 3月28日(土)18時00分46秒 sp49-106-209-87.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  文法

 漢語、俗語、雅語の事は前にも言へり。その他動詞、助動詞、形容詞にも蕪村ならでは用ゐざる語あり。

酢を圧す石上に詩を題すべく
縁子の頭巾眉深きいとほしみ
大矢数弓師親子も参りたる
時鳥歌よむ遊女聞ゆなる
麻刈れと夕日此頃斜なる

「たり」「なり」と言はずして「たる」「なる」と言ふが如き、「べし」と言はずして「べく」と言うふが如き、「いとほし」と言はずして「いとほしみ」と言ふが如き、蕪村の故意に用ゐたる者とおぼし。前人の句またこの語を用ゐたる者なきにあらねど、そは終止言として用ゐたるが多きやうに見ゆ。蕪村のはことさらに終止言ならぬ語を用ゐて余意を長くしたるなるべし。

をさな子の寺なつかしむ胃腸かな

「なるかしむ」という同士を用ゐたる例ありや否や知らず。あるいは思ふ、「なるかし」といふ形容詞を転じて蕪村の創造したる動詞にはあらざるか。果してしかりとすれば蕪村は傍若無人の振舞を為したる者といふべし。しかれども百年後の今日に至りこの語を襲用するもの続々として出でんか、蕪村の造語は終に字彙中の一隅を占めむるの時あらんも測りがたし。英雄の事業時にかくの如き者あり。

 蕪村は古文法など知らざりけん、縦し知りたりともそれに拘らざりけん、文法に違ひたる句

更衣母なん藤原氏なりけり

の如きあり。

我宿にいかに引くべき清水かな

の如く「いかに」「何」等の係りを「かな」と結びたるは蕪村以外にも多し。

大文字や近江の空もただならぬ

の「ね」の如き例も外になきにあらず、蕪村は終止言ちしてこれを用ゐたるか、あるいは前に挙げたる「たる」「なる」の如く特に言ひ残したる語なるか。縦令後者なりとも文法学者をして言はしめば文法に違ひたりとせん、果たして文法に違へりや、将た韻文の文法も散文の如くならざるべからざるか、そは大に研究を要すべき問題なり。余は文法論につきてはほ幾多の疑を存する者なれども、これらの俳句を尽く文法に違へりとて排斥する説には反対する者なり。まして普通の場合に「ならめ」等の結語を用ゐる例は『万葉』にもあるをや。

二本の梅に遅速を愛すかな
麓なる我蕎麦存す野分かな

の「愛すかな」「存す野分」の連続の如き

夏山や京尽し飛ぶ鷺一つ

の「京尽し飛ぶ」の連続の如き

闌夕狐のくれし奇楠(きゃら)を※(たか)ん

の「闌夕」の連続の如き、漢文より来りし者は従来の国語になき句法を用ゐたり。これらは固より故意にこの新句法を造りし者、しかして明治の俳句界に一生面を開きし者また多くこの辺より出づ。

※(たか)炷ん→炊ん→炊こう

今なにげなしに用いているものに蕪村が造ったものが多いことに驚かされます。

「材料」以降はまた次回と致したく。
 

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