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Re: 心の奥からの言葉

 投稿者:比々き  投稿日:2020年 1月14日(火)13時08分34秒 softbank060148111244.bbtec.net
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  > No.5241[元記事へ]

>  この句と出会い、改めて“上手な句を作ろう”と思っているうちは、まだ足りないのだと感じました。そうではなく、自分の心の奥から湧き上がってくる言葉。その人にしかない感性が宿された時、パワーのある句が生まれるのだろうなと。


「自分の心の奥から湧き上がってくる言葉。その人にしかない感性が宿された時、パワーのある句が生まれる」

まさにその通りだと思います。
選者はその「パワー」「熱量」を、敏感に感じとっているのだと思いますよ。

「多作」は、その「自分の心の奥から湧き上がってくる言葉」に耳を澄ますことで成り立つ方法。

組長ブログでも、妹さんの千津さんのブログから引用して、

「季語を心身に取り入れ、俳句にして取り出す、あなたという存在は、自然→言葉、の変換装置なのだ。」

https://blog.goo.ne.jp/msgecko/e/ad9655cde116f6de1750106abc2fd87b

とありましたが、私たちの一番身近な「自然」は、私たちの「身体」そのもの。
その「自然」の声を聴く、そうやって心身共により「自然」に近づいていく、それが俳句であり、その方法として「多作」がある、そんな風に私は感じています。

「身体」が発する声、「自然」の声を無視するから、もしかしたら心も体も病むのかもしれない、とも思ったりします。

「いい句を作ろう」が動機ではなく、「自然に帰ろう」が動機で俳句を作る、そんな感じでしょうか。


>  また、あ~すけさんは多作にも「限界はくる」とおっしゃっていますが、私はまだそれを言って良いレベルではありません(汗)。まず多作した上で、「やっぱり限界があるな」と実感として言えるように、しばらくは頑張らないといけないかなと思っています(笑)。


「多作多捨」を唱道した「俳句スポーツ説」の波多野爽波は、同時に「多読多憶」をも唱道しています。
「多作」だけだと、あ~すけさんの言うように、いつか必ず「限界」がきます。
なぜなら俳句は「詠む」と「読む」の「両輪」で、初めて「前進」できる車だからです。

車には両輪が付いているのに、片方しか回らなかったら、同じところを堂々巡りするだけですよね。

いわゆる子供が乗るような一輪車でも「前進」は出来ますが、行ける距離はたかが知れていますし、高みを目指して坂道を登ることは、かなり厳しいのではないでしょうか。

南風の記憶さんが中谷寛章さんの句を読んで、句作にとって何が大事か、そのことに「気づいた」ように、「読む」ことは、多くの大事な「気づき」を得るうえで、「俳句とは何か」を知るうえで、有意義なだけでなく不可欠な方法だと、実践しながら私は痛感しています。

「後悔先に立たず」

言われても言われても「ラク」な方を選び「やらない」で数年後に後悔するか、やるだけやって後悔しないか、俳人の道は二択。

自分を甘やかす人とそうでない人、ここが運命の分かれ目、そんな気がします。

 
 
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